2023.04.08
毎回、なんとなく書き出しをスタッフで話し合って出しているのですが、今回は「那須川天心」で行こう、ということになりました。
那須川天心選手は松戸市出身。とある教室には松戸市からの生徒さんもおり、身近な地域ということもあり地元のヒーロー的なイメージを持つキックボクサーでした。
そんな彼が、ボクシング転向を電撃的に表明したのが一昨年前、2021年の今頃でした。そして来る4月8日、彼のプロボクシング初試合が行われます。
当然、当人たちは試合の日を待ち望んでいるワケなのですが、生徒さん、保護者の方には、「他人様が殴り合う様子の何が面白いだろう?」とお思いの方もいらっしゃると思います。
「他人様が殴り合う様子を面白がる」というのは、実は古代ローマには、すでに娯楽として成り立っていました。もっとも、正確には、「他人様が殺し合う様子を面白がる」という物騒極まりないものでした。
象徴的かつ最も有名なのが、ローマのコロッセオです。紀元80年に完成したといわれ、そこから100日で、数百人の剣闘士が命を散らしたといわれているそうです。
その中に、奴隷同士が鉄鋲付きの拳にグローブを着けて殴り合うという種目があったようです。
さらに起源を辿ると、古代ギリシアのオリンピックで、23回大会から正式種目となったようで、オノマストスさんという方が、月桂樹の冠を授かった(つまり優勝した)という記録があるそうです。
その後ボクシングは一旦、西ローマ帝国の滅亡と共に消え去りますが、名誉革命直後のイギリスで、近代ボクシングが始まり、いくつかの試合中の死亡事故などを経て、徐々に安全に配慮したルールが定められ、スポーツとしてのボクシングへと至るのです。
暴力衝動に任せて他人を害する行為は、社会生活を営む上で絶対にあってはなりません。
しかし、ヒトもまた、「他を喰らって生きる」という動物であり、個人差はあれ、暴力や血に対する衝動はあるのだということから目を背けてはならないと思います。
暴力の代替行為(ボクシング鑑賞など)がキリスト教によって否定された中世、果たして人々は平和に暮らせていたでしょうか? 延々と続く戦や、魔女狩りなど、少し思いを巡らせても、そうではなかったと思います。
まあ、結論をいうのであれば、ボクシングの試合を楽しみにしている人たちは、それを鑑賞して本能からくる渇望の溜飲を下げているのであり、それゆえ社会の一員として理性的に振舞えているんだ。と、生温かい目でみてくれればいいな、ということです。