君たちはどう生きるか ※※ネタバレ(少し)あり※※
2023.07.28
7月14日、映画「君たちはどう生きるか」が封切りとなりました。世界中にファンがいる巨匠、宮崎駿監督の、10年ぶりとなる長編アニメーション映画です。
今、日本でもっとも有名な映画監督である宮崎駿氏の10年ぶりの新作映画。さぞ多額の予算を掛けて大規模な宣伝、プロモーションが展開される......と思いきや、この映画は、「ほとんど宣伝、告知を行わない」という、従来の宣伝方法を逆手に取った大胆な戦略をとりました。結果、初週の興行収入で、同じく宮崎駿監督による大ヒット作、「千と千尋の神隠し」を超えたと、メディアが報じています。
そんな「君たちはどう生きるか」。筆者も観てきました。率直な感想を言うなら「凄く面白かった!」です。主人公の葛藤はすぐに感情移入できましたし、奇妙で不思議なこの世とずれた世界での冒険は大変ワクワクしました。スタジオジブリが今まで創り上げてきた気持ちの良いアニメーションシークエンスをふんだんに再利用していて、「あ、ここはラピュタのアレだ」とか「あ、ここはハウルのアレだ」なんて感想が浮かんできたりして、嬉しかったりもしました。少年の葛藤と成長、ヒロインの持つ大いなる母性――といった、ストーリーのテーマも、宮崎駿監督作品としては王道といえるもので、わかりやすかったです。
ところが今作は、現在、観た人によって賛否両論が渦巻いています。筆者のように「面白かった」という人々がいる一方、「意味がわからなかった」「展開について行けなかった」という感想もネットでは多く見受けられます。実際、作品完成後の試写会では、「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」という宮﨑駿監督のコメントが読み上げられました。作った本人さえ訳がわからないという作品。観た人が「意味が分からなかった」と思うのも無理はないのです。
筆者は、「意味が分からない」という気持ちも理解できます。実際、観終わっても、「なんでなんだろう?」と頭を捻るような演出、表現もたくさんありました。しかし、それでも胸を張って「面白かった」ということができます。それは、「意味が分かる必要なんて必ずしもないのだ」と感じたからです。
「君たちはどう生きるか」で描かれるのは、この世とは異なる、幻想的な世界での冒険です。そう、本作品は「ファンタジー」なのです。実際、先程触れたように広告も打たず、プロモーションも展開しなかった本作では、公開前にはほとんど情報は流されていませんでした。ただ、作品のジャンルが「冒険活劇ファンタジー」であるということだけは明かされていました。
ファンタジー。本来の意味は「(自由奔放な)想像、空想、幻想、気まぐれ、酔狂、空想の産物、奇抜な考え、空想文学作品、ファンタジー、白日夢(weblio和英辞典)」という英単語です。ところが、(あくまで私の考えでは)、TVゲーム「ドラゴンクエスト」そして「ファイナルファンタジー」が空前の大ヒットを飛ばしたあたりから、その意味合いが変わってきたと思っています。
すなわちドラクエ、FFのような、中世ヨーロッパ的な世界を有する、剣と魔法の世界。TVゲームや、アニメーションにおいて、「ファンタジー」といえば、この狭義のファンタジーのことを指すことがほとんどになりました。
その狭義のファンタジーを想像して「君たちはどう生きるか」を観ると、あまりに奇抜で、意味不明で、さらにその意味不明な数々に対して、映画内に答えもヒントも存在しておらず、途方に暮れてしまう。ということもあったのではないかと思います。
しかし、上記の辞書どおりの「ファンタジー」を想像して本作品を観ると、自由奔放で、酔狂で、奇抜な、想像の産物――まさにピッタリ言葉どおりのファンタジーであった、と感じるでしょう。
近年の日本の他の「ファンタジー」なアニメ作品と比べると、「君たちはどう生きるか」は、意味不明な作品といえます。しかし、「不思議の国のアリス」など、本来の意味のファンタジー作品と比べると、「君たちはどう生きるか」は、それらに勝るとも劣らない奇抜で奔放な発想で創られたファンタジーである。といえると思います。どちらの「ファンタジー」と捉えて鑑賞に臨むか。考えてから映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。