初石教室のメッセージ
福袋
2023.12.07
いよいよ師走。2023年もあと一か月を切りました。受験生はいよいよラストスパート。一番の頑張り時です。一方、塾から目を離すと、町や店はクリスマスムード一色で、この時期の話題としてはクリスマスになることも多いです。
しかし、この教室メッセージは、前回聖書の話にまで遡る壮大で痛ましいパレスチナ問題を取り上げたばかり。2回連続聖書に関係する話をしても偏りますので、あえて別の話題に触れようと思います。
そこで表題の福袋です。本来は年始の初売りセールなどで見かける、中身の分からない詰め合わせ袋です。大抵は売値以上の価値のあるものが入っていますが、そこは売る側の在庫整理という側面も兼ねているため、ときにはとんでもないガラクタを引かされたりすることもありますよね。そんな運試し要素もまた楽しいのが福袋だと思います。
しかし、インターネットが普及してから、福袋も多様化しました。今では、今くらいの時期(場合によってはもっと前)に、ネットで予約しなければ入手できないような福袋もあったりします。筆者も、先日その類の福袋......の抽選権を予約しましたので、今回なんとなくテーマにしてみました。
さて、福袋の由来は諸説あって、「これが起源だ」と決まっているわけではないのですが、由来として有力な説をひとつ紹介させてください。
それは、江戸時代に呉服屋(現代でいうアパレルですね)の、越後屋(現在の三越の前身となった店です)が、始めたもので、それは「恵比寿袋」と呼ばれ、たいそう評判になったそうです。この「恵比寿袋」が、現在の福袋の前身だったのではないか。という説です。
越後屋以前、呉服というものは、基本的に商人のほうが得意先に訪問して販売する形式でした。見本もしくは商品そのもの持って行って注文を取っていました。また、支払いも年2回ほどの掛け売りが主でした。
このやり方では、いちいち見本や商品を持っていく人手も掛かりますし、掛け売りにすれば、利子が発生したりして、手間がかかります。そういった手間賃は当然商品に加算されるので、自然呉服の価格は上がります。また。店としても、年2回しか収入のチャンスがないとなると資金繰りが安定しません。また、この掛け取りに失敗すると、踏み倒されて損をしたり、それを防ぐために掛け取り人(借金取り的な人ですね)を雇ったりと、さらにいらぬ手間がかかっていきます。
越後屋は、そのような商習慣に革命を起こします。「店先現銀売り(たなさきげんきんうり)」「現銀掛け値なし(げんきんかけねなし)」という全く新しい商法を掲げました。これは、店頭で販売する、定価を設定して販売する、掛け売りではなく、商品受け取り時に現金でやりとりをする、というもの。つまり、現代日本では常識となった販売方法です。なお、現金を"現銀"と表記しているのは、当時の貨幣が銀を中心に回っていたからであり、誤表記ではありません。こういった新商法で人件費などをカットし、呉服を安く売ることに成功します。
そんな越後屋は、当時反物単位でしか取引してはいけないとされていた生地を、客のニーズに合わせて切り売りし始めます。これにより、反物に手が出なかった庶民でも、予算に合わせて呉服の生地を買い求めることができるようになりました。
こういった商法の革命により、越後屋は江戸でも大評判になります。江戸の町人からは、「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と呼ばれたそうです。芝居、魚河岸、越後屋は1日千両も売り上げる、という意味で、越後屋がすさまじい売り上げを上げていたことがわかります。
さて、庶民の味方となった越後屋の切り売りですが、切り売りを行えば、当然余りが生じます。ところが越後屋は、その余りさえも、ビジネスチャンスにつなげました。
江戸時代、冬物が出回るのは、11月から。越後屋は11月の1日から3日まで、1年間に出た裁ち余りの生地を袋に入れて、販売を行いました。この袋が大変評判になり、やがて江戸の町人たちは、これを「恵比寿袋」と呼ぶようになったそうです。恵比寿さまといえば、七福神の一柱。時代がすすむと、この恵比寿袋はやがて大雑把に福袋と呼ばれるようになって、現在に至る、というわけです。
受験は実力が試される場ですが、運もまた実力のうち。お正月には気分転換がてら、初売りの福袋を買ってみて、運試しをしてみるのも一興かもしれませんね。