城南コベッツ南流山教室

Tel:0120-52-3778

  • 〒270-0163 千葉県流山市南流山1丁目14-8 1階
  • JR武蔵野線・つくばエクスプレス 南流山駅 徒歩5分

受付時間:16:00~20:00/日祝休

  • 1対1個別指導
  • 1対2個別指導
  • atama+個別指導
  • デキタス個別指導
  • 城南予備校オンライン
  • 総合型・学校推薦型選抜対策
  • ジュニア個別指導
  • デキタス
  • プログラミング
  • スタディ・フリープラン

2024.07.08

7月4日。この日が何の日か知っていますか?

日本では祝日でも何でもないので、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

もし、「7(な)4(し)」だから梨の日では? と思われた方は、一応、その通りです。

ちなみに、現在梨の品種として有名な二十世紀梨は、明治のころ、松戸市に住むの松戸 覚之助さん(当時13歳)が親類のゴミ捨て場で見つけた苗を父子で育ててみたことが始まりだそうです。

そこから10年もの歳月をかけて、梨の栽培に成功。当時外務大臣や首相を歴任していた大隈重信も、この梨を食した際に「大変甘美で至極美味」と太鼓判を押したのだとか。

松戸覚之助親子は、その梨の苗木を、成功する農家に快く分けていきました。やがて、1900年代つまり二十世紀に入り、苗を譲り受けた農家のひとりが、新世紀を代表する品種となるように、と、この梨を「二十世紀梨」と呼ぶようになったんだとか。

閑話休題。

はい。7月4日は、日本ではなく、アメリカ合衆国の祝日。「独立記念日」です。

簡単な解説を行うと、1700年代、16世紀半ばころまでには、北米新大陸の、大英帝国の13の植民地は、イギリス本国にばかり有利で、植民地には不利であるような一方的な法律や課税に対して不満を抱くようになっていました。しかし、英国議会には植民地代表の椅子は1席も存在せず、指をくわえてみているしかありませんでした。

やがて、北米植民地は「No Taxation Without Representation(代表なくして課税なし)」のスローガンの元、イギリス本国と対立するようになります。

 1770年には、ボストンにおいて、植民地に住む市民集団の本国への抗議活動に対して、イギリス軍から発砲が行われ、5人の死者を含む死傷者が出てしまいます。

 また、同じくボストンで、3年後の1773年には、紅茶に関する植民地に不利な課税に憤った市民たちが、東インド会社の船に乗り込んで、積み荷の紅茶を港に投げ捨てる「ボストン茶会事件」が起こります。

 こういったことが引き金となって、1775年、イギリス本国と北米植民地は、戦争状態へと突入します。

そして、翌年の1776年7月4日、植民地の代表会議、大陸会議は2日前に作成された独立宣言を承認する議決を行い、ここに新独立国家、アメリカ合衆国が形成されたのです。

 だいぶ歴史の講義のようになってしまいましたが、アメリカでは現在でもこの7月4日を重要な記念日として、盛大に祝います。様々なイベントの他、軍隊のパレードや、花火大会が行われます。人々は祝日を楽しみ、合衆国国旗を振って、イベントに参加したりしています。試しに、SNSに# indipendence dayと入力して検索してみてください。花火の様子やイベントの様子を動画などで見ることができると思います。

現代の日本では、第二次世界大戦の際の全体主義の古傷から、国旗を振るほどの愛国心は眉を顰められることもあるかもしれません。一方で、星条旗の元、屈託なさげに独立記念日を謳歌するアメリカ国民の様子を、少し羨ましいかも、と感じた7月4日だったのでした。


2024.06.18

先週の話ですが、6/15(土)は千葉県民の日でした。千葉県のホームページによると

『「県民の日」は、「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇りうる、より豊かな千葉県を築くことを期する日」として、県の人口が500万人を突破したことを記念して、昭和59年に制定されました。

これは、明治6(1873)年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して千葉県が誕生したことに由来しています。』

だそうです。ふるさとを愛する心や、千葉県を誇る心は県民の皆さんにお任せするとして、今回は千葉県の郷土、それも成り立ちや由来について、少し書いていこうかと思います。

 千葉県は、外房、内房と海と接しているため、縄文時代から海の幸に恵まれていたようです。なんと発見された貝塚の数は、千葉県が全国一位だそうです(千葉県HPより)

 房総という漢字は、共に「ふさ」と読みます。「房」の方には、「房をなして実る果実」という意味があるようです。「総」のほうは、麻のことだそうで、平安時代、房総地方で麻を植えたところ、よく育ったために、「総」の字が国名についた、という文献が残っているそうです。

 「千葉」という字も、多くの葉が生い茂ったことを意味する漢字です。とにかく、千葉県といえば海も野も自然の恵み豊かな土地、というのが共通認識だったようです。

 その後、武士の世になると、様々な武将たちが千葉県を拠点とします。千葉氏は、桓武天皇の裔、つまり平氏の流れをくむ一族でした。

 室町時代には、足利一門の足利義明が、小弓公方と自称し、千葉市辺り(現在も千葉市おゆみ野という地名が残っています)に君臨していました。他にも海軍を持つ里見氏や、上総武田氏(真里谷氏)等、様々な勢力が千葉を拠点としていました。江戸時代には、江戸に近かったことから、幕府直轄領なども多くありました。

明治初めには、転封されてきたものも含め、25もの藩が千葉にあったそうです。

 その後の明治4年、廃藩置県により、茨城に移転した大網藩を除いた24の藩がそのまま24の県となりました。さらに、旧幕府直轄領、旧旗本領であった葛飾県などを加え、千葉には26の県が誕生しました。同明治4年の11月に統廃合によって、千葉には印旛県、木更津県、新治県となりました。ちなみに、印旛県の県庁所在地は葛飾郡加に置かれました。現在の流山市加ですね!(流山教室は流山市加にあります)

 という紆余曲折を経て、上記のように、明治6年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して千葉県が誕生したのです。

 そして、明治8年に、現在の千葉、茨城にまたがる新治県が廃止され、一部が千葉県となったところで、千葉県はほぼ現在の(つまりチーバくんの)形に至る、というわけです。

 千葉県在住の方でも、上記のような千葉の変遷は意外と知らなかった方も多いのではないでしょうか? 

 残念ながら、県外に働きに出ている方々は休日とはなりませんし、今年は土曜日であったために、影の薄かった感のある千葉県民の日ですが、郷土を知るきっかけになればと思います。

2024.04.05

春休みも半ばを過ぎ、4月となりました。いよいよ新学年です。2024年度の公立入試は、東葛飾高、柏の葉高やおおたかの森高など、人気高の受検倍率が特に高かった年でありました。同時に、人気高と同様の偏差値ながら倍率が1.00を切っていた我孫子や松戸六実などでも1.00倍を上回るなど、厳しい入試であった年でした。この傾向はおそらく2025年度入試でも続くと思われます。このブログをご覧の流山、柏地域の生徒さんは、非受験学年から、そしてこの4月から受検を意識して日々の勉強に臨まれることをお勧めします。

 ところで、これを書いている4/4、気象庁は東京のソメイヨシノの満開を発表しました。

標本木となっている靖国神社にあるソメイヨシノが、8割以上開花と確認されたための発表だそうです。

 東京の桜の満開が4月になるのは、2017年ぶりで、7年ぶりの遅さなのだそうです。となると、満開の桜の中での入学式も、7年ぶりということになるでしょうか。

 この年度切替の別れと出会いをドラマティックに演出する花が桜であり、もはや卒業、入学と桜の花は切っても切れない関係にありますが、実は4月が新年度である国はほとんどありません。日本のほかにはインド、パナマくらいで、アメリカ、イギリス、フランスなど、多くの国では、実は新学年は9月からなのです。

 なぜ9月からなのか? これは、ヨーロッパの生活スタイルに基づいているという説が有力であるようです。

 中世より、19世紀に至るまで、ヨーロッパでは高校世界史で習う三圃制が行われていました。これは、小麦の連作障害を抑えるため、耕地を冬畑、夏畑、休閑地に分けて輪作を行う、というものです。この冬畑の収穫を迎えるのが夏であり、さらに牧畜をしている農家では、干し草を作る時期も夏でした。このシーズンは、どこの家も子供の手も借りたいほど忙しいシーズンです。この時期に学校を開いても、農家は子供を休ませて家の手伝いに回すことになってしまいます。そこで、学年のスタートを農作業シーズンが落ち着く9月にした。ということであるようです。

 一方、日本では、明治時代に学制が公布されました。西洋に倣った明治維新の一環ですので、この時は、実は日本の新学期も9月とされていたのです。ところが、その後に官公庁の「会計年度」が4月区切りとされました。これは、税制を年貢から税金へと変えた結果であるようです。秋に収穫した米を、現金化してから納税する。このプロセスを経るのに、9月始まりや12月区切りでは間に合わなかったため、4月区切りとされたそうです。

 その結果、学校や企業の年度も4月区切りにシフトしていったようです。会計年度に合わせた方が。事務手続きなど、いろいろ楽だったのでしょうね。

 こうしてみると、新学期というのは、各国の生活基盤の上に成り立ったものであったことがうかがえて、興味深いですね。日本の桜舞い散る新学期には、やはり風情が感じられます。成り立ちは風情と関係なかったとしても、後々の思い出が鮮やかな桜色であることは、嬉しいことです。

2024.03.25

先日3月23日(土)に行われた南流山中学校新校舎の一般見学会に行ってまいりました!
近年、南流山駅南側の大型マンション建設や戸建住宅の増加により、南流山小学校の児童数が増加しています。
教室数の不足に伴い、現在の南流山中学校を南流山第二小学校とし、南流山中学校は東洋学園大学の旧校舎へ移転となりました。

IMG_5908.jpeg←南流山中学校新校舎正門から








元は大学ということもあり、およそ一般の公立中では見られない正門からの景色です。
通常教室数も非常に多いですが、様々な用途で使用できる教室も豊富です。
また中学生向けに整備がなされ、登下校時の混雑を分散させる動線計画もあるようです。

教室の机や椅子も綺麗で使いやすそうですね!
IMG_5927.jpeg

体育館も第1体育館と第2体育館と2つあり、中も広々としていました。
第2体育館には観客席もあり、部活動の試合が行われる際は盛り上がりそうです!
グラウンドも広い!しかも2面あるので色んな部活が同時に活動できます。また接触の可能性も低くなるので安全性の向上にもつながりますね!
IMG_5909.jpegIMG_5944.jpegIMG_5916.jpeg

図書室は奥まで入ることはできませんでしたが、入り口付近から見ただけでもその広さや充実度が伺えました。
中学生時代、図書室を昼休みのたびに利用してきた私からすると、本当にうらやましい!
その他にも大学施設特有の講堂や、廊下に設置されたコミュニケーションスペースなど、中学校に通うのが楽しくなりそうな学習環境でした!

おそらく学校施設を管理される先生方の苦労は増えそうな気がしますが、子供たちはより充実した環境で勉強や部活、その他さまざまな活動に取り組んでくれることを期待しています。
(公立高校に進学したとき、施設レベルの違いにがっかりしないように...!)

2024.03.13

皆さんこんにちは。城南コベッツ南流山教室です。

2024年度の高校入試も無事終了しましたので、結果の報告をいたします。

今年度の中学3年生7名全員が