勝田教室のメッセージ
入試問題(国語)より (仏教、徒然草)
2023.06.19
仏教の教えに「第二の矢を受けない」という教えがあるそうです。
「不幸にして、矢に打たれた人がいるとします。ここで、次にどうするかに関して、
2つに分かれます。一人は、慌てふためき、第二の矢を受けてしまう人です。
もう一人は、矢に打たれても痛みに耐え動揺せず、
第二の矢をかわすことのできる人です。」
「第二の矢を受けない」とは、起こってしまった事実を受け入れて、その事実から
波紋のように広がっていく苦しみは受けないというものです。
徒然草の109段です。
「有名な木登り名人が、人を高い木に登らせて梢を切らせた時の話」
名人は、まだ人が高い所にいて、危なそうに見えた間は何も言わないで、降りて
くるときに軒の高さくらいになって「間違いするな。気をつけて降りろ」と言葉
をかけました。「これくらいの高さになってからでは、飛び降りても、きっと
降りることが出来るだろう。どうしてそのように言うのか」と聞いてみたら、
名人は「危ない間は、自分が恐れて降りますから言わなくても大丈夫。
失敗するのは易しいと思って油断した時なのです」といったということです。
「不幸にして、矢に打たれた人がいるとします。ここで、次にどうするかに関して、
2つに分かれます。一人は、慌てふためき、第二の矢を受けてしまう人です。
もう一人は、矢に打たれても痛みに耐え動揺せず、
第二の矢をかわすことのできる人です。」
「第二の矢を受けない」とは、起こってしまった事実を受け入れて、その事実から
波紋のように広がっていく苦しみは受けないというものです。
徒然草の109段です。
「有名な木登り名人が、人を高い木に登らせて梢を切らせた時の話」
名人は、まだ人が高い所にいて、危なそうに見えた間は何も言わないで、降りて
くるときに軒の高さくらいになって「間違いするな。気をつけて降りろ」と言葉
をかけました。「これくらいの高さになってからでは、飛び降りても、きっと
降りることが出来るだろう。どうしてそのように言うのか」と聞いてみたら、
名人は「危ない間は、自分が恐れて降りますから言わなくても大丈夫。
失敗するのは易しいと思って油断した時なのです」といったということです。