横浜六浦教室のメッセージ
鳥辺野(とりべの)は平安京の葬送地~源氏物語第四帖「夕顔」より
2024.03.05
鳥辺野(=とりべの)は、京都市の一地域を指す地域名です。平安時代以来、葬送の地として
『源氏物語』や『徒然草』に登場し、藤原道長も同地で荼毘に付されたといいます。
「東の鳥辺野(とりべの)」「西の化野(あだしの)」「北の蓮台野(れんだいや)」が
平安京の三大風葬地です。風葬地とは遺体が捨てられて、野ざらしにされていた所です。
源氏物語第四帖「夕顔」より
御心地かきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、
危かりし物懲りに、いかにせむと思しわづらへど、なほ悲しさのやる方なく、
「ただ今の骸を見では、またいつの世にかありし容貌をも見む」と、思し念じて、
例の大夫、随身を具して出で給ふ。
道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆の火もほのかなるに、
鳥辺野の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえ給はず、
かき乱る心地し給ひて、おはし着きぬ。
現代語訳:まだ気分も悪く、気持ちも沈んでいるせいで、また昨夜の物の怪に
襲われるのではないか、引き返したほうがいいのではないか、と光君は迷う。
けれども悲しみは紛らわしようがなく、最期の亡骸を見ないことには、
いつの世で女の顔を見ることができようかと、随身を伴って惟光とでかけた。
道は果てしなく遠く思えた。十七日の月が上り、加茂河原のあたりにさしかかると、
先払いの者が持つ松明の明かりもほのかで、火葬場のある鳥辺野が
ぼんやりみえるのはいかにも薄気味悪いが、光君はもうこわいとは思うこともない。
気分のすぐれないまま、山寺に着いた。
参考文献:河出文庫古典新訳コレクション 源氏物語1 角田光代 訳