横浜六浦教室のメッセージ
日本紀の御局~紫式部日記から
2024.05.11
この式部の丞といふ人の、わらはにて書読み侍りし時、聞きならひつつ、
かの人はおそう読みとり、忘るるところをも、あやしきまでぞさとく侍りしかば、
書に心入れたる親は、「口惜しう。男子にて持たらぬこそ幸なかりけれ」とぞ、
つねになげかれ侍りし。
それを、男だに才がりぬる人は、いかにぞや、はなやかならずのみ侍るめるよと、
やうやう人のいふも聞きとめて後、一といふ文字をだに書きわたし侍らず、
いとてづつにあさましく侍り。読みし書などいひけむもの、
目にもとどめずなりて侍りしに、いよいよ、かかること聞き侍りしかば、
いかに人も伝え聞きてにくむらむと、はづかしさに、御屏風の上に書きたることをだに
読まぬ顔をし侍りしを、宮の、御前にて文集のところどころ読ませ給ひなどして、
さるさまのこと知ろしめさまほしげにおぼいたりしかば、いとしのびて、
人のさぶらはぬもののひまひまに、をととしの夏ごろより、楽府といふ書二巻をぞ、
しどけなながら教へたてきこえさせて侍る、隠し侍り。宮もしのびさせ給ひしかど、
殿もうちもけしきを知らせ給ひて、御書どもをめでたう書かせ給ひてぞ、殿は奉らせ給ふ。
まことにかう読ませ給ひなどすること、はたかのものいひの内侍は、え聞かざるべし。
知りたらば、いかにそしり侍らむものと、すべて世の中ことわざしげく憂きものに侍りけり。
【現代語訳】
この式部丞という人が、まだ子どもで漢籍を読んでいたとき、(私はそれをそばで)
聞き習いながら、その人(式部丞)はなかなか読み取らず、忘れるところも、
(私は)不思議なくらい理解が早かったので、漢籍に熱心だった親は、
「残念なことだ。(この娘を)男の子として持っていないことこそ不運なことだ」と、
いつも嘆いていらっしゃいました。
それなのに、「男でさえ、学識をひけらかす人はどうであろうか。(感心したことではない)
栄えていない人ばかりのようです。」と、次第に人の言うのも聞きとめた後は、
一という文字さえ最後まで書きませんし、とても漢字に不調法で驚きあきれるほどです。
以前に読んだ漢籍というものは、目にもとめなくなっておりましたのに、
ますますこのようなこのようなことを聞きましたので、どんなにかほかの人も伝え聞いて
私を憎んでいるだろうと、恥ずかしさのために、御屏風の上に書かれている漢詩文さえ
読まないふりをしておりましたのに、中宮様が、御前で、「白氏文集」のところどころを
私に読ませなさるなどして、そういった方面のことをお知りになりたそうでしたので、
人目を避けて、他の人がお仕えをしていない合間に、一昨年の夏ごろから
(「白氏文集」のなかの)「新楽府」という書物二巻を、おおざっぱにお教えしています。
そのことを隠していますし、中宮様も人目につかないようになさっていましたが、
殿も一条天皇もその様子をお知りになって、漢籍などをすばらしくお書かせになって、
殿は(それを中宮様に)差し上げなさる。(中宮様が漢籍を)読ませなさるなどは、
きっとあの口さがない内侍は、聞きつけることはないでしょう。もし知ったなら、
どんなに悪口を言うことでしょうと(思うと)、何事につけ世の中は煩わしいものですよ。
※式部丞=藤原惟規(ふじわらののぶのり)
※親=藤原為時(ふじわらのためとき)
※宮=中宮彰子(ちゅうぐうあきこ)
※殿=藤原道長(ふじわらのみちなが)
※新楽府(しんがふ)=とりわけ有名なのは白居易の50編で、社会批判や風刺の意図をもつ