横浜六浦教室のメッセージ
今昔物語巻24第30話 藤原為時作詩任越前守語
2024.05.22
今は昔、藤原為時(ふじわらのためとき)という人がいました。
一条天皇の御代に、式部丞(しきぶのじょう・式部省の三等官)を勤め上げた
功労により、国司になりたいと願い出ましたが、除目(じもく・任官の儀)のときに
国司が欠員になっている国がない、というので、任じられませんでした。
そこでこれを嘆き、翌年、除目の修正が行われた日、為時は博士ではありませんが、
たいそう文才のある人物であったので、上申書を内侍(ないじ・上奏、伝宣を司る
内侍所の女官)を介して天皇に奉りました。その中に、次の句がありました。
(苦学寒夜 紅涙霑襟 除目後朝 蒼天在眼)
苦学の寒夜、紅涙襟を霑(うるお)す
除目の後朝、蒼天眼(そうてんまなこ)に在り
「懸命に勉強したのに希望が叶わず、血の涙が襟をぬらしております。
もし、除目の変更があれば、蒼天(一条天皇)に更なる忠勤を誓うでしょう」
内侍はこれを天皇のお目にかけようとしましたが、天皇はそのとき
ご寝所にお入りになっていて、御覧になりませんでした。
ところで、御堂(みどう・藤原道長)は当時、関白でいらっしゃったので、
除目の修正を行われるため、参内なさって、為時のことを奏上なされましたが、
天皇は為時の上申書を御覧になっておられなかったので、何のご返答もなされませんでした。
そこで関白殿が、女房にお尋ねになると、女房が、
「じつは、為時の上申書をお目にかけようとしましたとき、主上はすでにお休みに
なっておられ、御覧になりませんでした」と、お答えしました。
そこで、その上申書を探し出して、関白殿が天皇にお見せなさいましたところ、
この句がありました。関白殿は、この句の素晴らしさに感心なさって、
ご自分の乳母子であった藤原国盛(ふじわらのくにもり)という人がなるはずであった
越前守をやめさせて、にわかにこの為時をそれに任じられました。
996年(長徳2年)正月28日、越前守に叙任されて越前国へ下向した藤原為時。
越前には娘の紫式部も同行していたのだといいます。
『今昔物語』には、一条天皇は為時の漢詩の才に深く感動したのだと書かれています。