城南コベッツ横浜六浦教室

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横浜六浦教室のメッセージ

摂関政治と枕草子

2024.05.27

作者清少納言は、中関白家の没落、皇后定子の失意、この大きな事実を
眼前にして、どのように感じたか。
彼女は親愛し、敬慕する唯一人の高貴な同性のために、そのあまりにも
いたいたしい運命に慟哭もし、号泣もしたことであろう。しかも彼女は、
いかなるものも淫し、犯すことの出来ないものを、この一人の不遇な
やんごとない愁人の生き方の中に見た。
それは、かつてこの人の栄華を形づくる要素をなしていたところの
如何なる富でもなく、また権力でもなかった。
それは実に人間としての定子その人の高貴性であり、さらに人間そのものの
純潔さと美しさであった。かやうな高貴性は、中関白家の栄華をこえ、
衰滅をこえて、それ等にかかわりなく高く、永遠に玲瓏として
耀くものであった。
この高貴性こそは、皇后定子を通して発見した人間の高貴性であった。
彼女は現実の旋風と暗黒との中において、この混濁に染まない、
さわやかな一条の光を見た。この光明こそは、清少納言の天才をもってしても、
あるいは、栄華のさ中においては見出し得ぬものであったかもしれない。

枕草子は滅びゆく権威への挽歌である。その作者は身をもって
悲しみと苦しみを味わったにもかかわらず、そこにはいささかの
暗さも、卑屈も、自嘲も、愚痴も示していない。
こういう環境に生れる文学は、どうかすると感傷や頽廃や情痴、
さては虚無の思想や好尚に陥りやすいが、そういうものは
微塵もそこに見られない。
それは、きわめて健康な無韻の詩である。建設の文学である。
かつてありしものへの讃美、後方を顧みる文学ではあるが、
しかしそれはただ中関白家に限られるのではなく、
むしろあらゆる人間への、より本質的な人間らしさへの郷愁であった。

そうであるかぎり、それはまた直ちに、前方を望む
人間創造の文学であったと云えると思う。

『国文学:解釈と鑑賞』(池田亀鑑、ぎょうせい刊、1951年)より引用
また同論文は2024年2月に『摂関政治と枕草子』 (風々齋文庫)として、Kindle版が出ています