横浜六浦教室のメッセージ
皇后と中宮
2024.07.15
平安時代に登場する皇后と中宮の違いについて解説します。
皇后と中宮は、どちらも天皇の正妻を意味する言葉です。
歴史を遡っていくと、天皇の正妻(妃)という意味に相応しいのは中宮ではなく皇后の方です。
(皇后という言葉は、今でも使われています)
そもそも中宮とは本来「皇后が住むところ」という意味であり、正妻を指す言葉ではありません。
西暦1000年、藤原道隆の娘である藤原定子は一条天皇の正妻(皇后)になっていました。
藤原道長は、娘の藤原彰子を一条天皇の正妻にしようと考えますが、既に藤原定子がいます。
藤原道長は、娘の彰子を「中宮」として一条天皇に嫁がせてしまいます。
一条天皇は「皇后」の藤原定子と「中宮」の藤原彰子という、二人の正妻を持つことに
なってしまいました。この状況は「一帝二后」(=いっていにこう)と呼ばれ
異例の状況として、歴史上でとても有名です。
以後、皇后の定員は2名となり、一方を皇后宮、他方を中宮と呼ぶ慣行が確立しました。
ただし、つねに2名の皇后が存在していたわけではありません。
また、その後「天子の嫡妻」ではない女性に名誉称号として皇后の位を与える慣行も
並行して行われるようになったのです。