横浜六浦教室のメッセージ
枕にこそは侍らめ~「枕草子」題名の由来
2024.08.01
この草子、目に見え心に思ふ事を、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに
書き集めたるを、あいなう、人のためにびんなきいひ過ぐしもしつべき所々もあれば、
よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ。
宮の御前に、内の大臣のたてまつり給へりけるを、
「これに何を書かまし、上の御前には史記といふ書をなむ書かせ給へる」などのたまはせしを、
「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、
「さば、得てよ」とて賜はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、つきせず多かる紙を、
書きつくさんとせしに、いとものおぼえぬ事ぞ多かるや。
おほかたこれは、世の中にをかしきこと、人のめでたしなど思ふべき、なほ選り出でて、
歌などをも、木・草・鳥・蟲をもいひ出したらばこそ、「思ふほどよりはわろし、心見えなり」
とそしられめ、ただ心ひとつに、おのづから思ふ事を、たはぶれに書きつけたれば、
ものに立ちまじり、人なみなみなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、
「はづかしき」なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、いとあやしうぞあるや。
げに、そもことわり、人のにくむをよしといひ、ほむるをもあしといふ人は、
心のほどこそおしはからるれ。ただ人に見えけむぞねたき。
左中将、まだ伊勢の守と聞えし時、里におはしたりしに、端のかたなりし畳をさし出でしものは、
この草子載りて出でにけり。まどひとり入れしかど、やがて持ておはして、
いとひさしくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞほんに。
【現代語訳】
この草子は、目に見え心に思う事を、人が見ようとするかと思って、何もすることがなく
退屈な実家に帰っている間に、書き集めたのが、あいにく、他人にとっては
具合の悪い言い過ごしもしたにちがいない所々もあるので、うまく隠しておいたと思ったのに、
心ならずも漏れ出てしまったことだ。
中宮様に、内大臣が献上なさった(草子の紙)を、(中宮様が私に)
「これに何を書こうかしら、天皇におかれては、『史記』という書物をお書き(写し)になりました」
などとおっしゃったので、「(それは)枕でございましょう」と申しあげたところ、
「それでは、取りなさい」とおっしゃってくださったけれども、つまらない事を、あれやこれやと、
限りもなくたくさんの紙を書き尽くそうとしたので、たいそう訳のわからない事が多いことよ。
だいたい、これは世の中でおもしろいこと、人が素晴らしいなどときっと思だろう名前を選び出して、
(それは)歌などでも木・草・鳥・虫(のこと)をも言い出したとしたならば、
「思った程度よりはよくない、心の底が見えすいている」と非難されるだろうが、
ただ自分一人の考えで、自然に思うことを、冗談で書きつけたので、他の立派な書物と肩を並べて、
世間並みであるにちがいないという評判を聞けるものだろうか、と思っていたのに、
「優れている」などと、見る人は批評なさるそうなので、たいそう不思議であることよ。
なるほど、人が褒めてくれることも道理で、人が不快に思うことをよいと言い、
褒めることをも悪いと言う私のような人は、その心の底が自然に読み手に推測されることだ。
ただ、この草子が人に見られただろうことがしゃくにさわる。
左中将が、まだ伊勢守と申しあげた時、(私の)実家においでになられた折に、
縁側の方にあった薄緑を差し出したところ、なんとまあこの草子が載って出てしまった。
慌てて取り入れたけれども間に合わず、(左中将はそれを)そのまま持っていらっしゃって、
たいそう長い間たってから(私の手元に)返ってきた。
それから(この草子は)世間に流布し始めたようである、ともとの本に(書いてある)。