横浜六浦教室のメッセージ
三才女批評~紫式部からみた和泉式部
2024.08.19
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど和泉はけしからぬかたこそあれ、
うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。
歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌詠みざまにこそ侍らざめれ、
口にまかせたる言(こと)どもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠み添へ侍り。
それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、「いでやさまで心は得じ、
口にいと歌の詠まるるなめり」とぞ見えたる筋に侍るかし。
「恥づかしげの歌詠みや」とはおぼえ侍らず。
【現代語訳】
手紙と言えば、和泉式部という人こそ素敵な恋文を書き交わしたようですね。
ただ和泉には、ちょっと感心できない点があるのですが、
まあそれでも日常で手紙を走り書きする中に即興の文才がある人で、
何気ない言葉が香り立つようでございますね。
歌は、本当にお見事。和歌の知識や理論、本格派歌人の風格こそ見て取れないものの、
口をついて出る言葉言葉の中に、かならずはっとさせる一言が添えられています。
とはいえ、彼女が人の歌を批判したり批評したりするという段となりますと、
「いやそこまで頭でわかっていますまい、思わず知らず口から歌のあふれ出るような
天才型なのでしょう」とお見受けしますね。
ですから「頭の下がるような歌人だわ」とは私は存じません。
角川ソフィア文庫/ビギナーズ・クラシックス日本の古典「紫式部日記」山本淳子編より引用