横浜六浦教室のメッセージ
望月の歌
2024.11.18
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
寛仁(かんにん)2年10月16日(1018年11月25日)に、藤原道長が詠んだとされる和歌です。
この日は道長の三女・藤原威子(たけこ/いし)が後一条天皇の中宮として立后された日であり、
摂関政治の絶頂を示した歌としてしばしば引用され、望月の歌と呼ばれることもあります。
この夜の月齢は14.7、まさに満月で、道長は「この夜」が「望月(満月)」と認識していたはずです。
「自分にはひとつとしてかなえられないものはない。満月のようにすべてが満たされており、
この世は自分のためにある」と道長は詠いました。このエピソードは、列席していた
権大納言藤原実資(さねすけ)が日記『小右記』に記録したことで今日に伝えられています。
この時、実資は道長の和歌をほめたたえ、宴席の一同も数回吟詠したとあります。
道長はすでに長女・彰子(あきこ/しょうし)を一条天皇の中宮に、二女・妍子(きよこ/けんし)を
次に即位した三条天皇の中宮としていました。そのうえ、三女・威子(たけこ/いし)が
彰子の産んだ外孫・後一条天皇の中宮に冊立されれば、彰子が太皇太后、妍子が皇太后、
威子が中宮となり、すべて自分の娘で固めることになったのです。
この和歌は、道長自身の日記である『御堂関白記』には記されていません。
道長にとっては「この世」なのか「この夜」なのか、あるいは「子の世」なのかは分かりません。
「今夜のこの世を、わたしは心ゆくものとおもう。目前の月は欠けていくが、
私の月、后となったなった娘たち、そして宴席の皆と交わした杯は欠けていないと思う」
という解釈をしてみると、随分と印象が変わるのではないでしょうか。