城南コベッツ横浜六浦教室

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2025.03.07

夜空では、東の空にしし座などの春の星座が昇ってきて、季節の移ろいを感じさせてくれます。
しかし、西の空には明るい星が多い冬の星座が残っていて、木星や火星も加わってにぎやかなため、
西の空に目が行きがちかもしれません。また、水星が8日に東方最大離角となり、観望の好機です。
14日には、満月で皆既月食、月出帯食が見られます。(関東地方東部・小笠原諸島)

内惑星である金星と水星は、矩や衝に到達することができません。これらの惑星の可能な最大離角は、
水星で約28度、金星で約48度です。最大離角時には水星と金星は空で太陽から最も遠い位置にあり、
星空観察者にとって惑星を見つける最良の機会となります。最大東離角時には、
水星と金星は夕方の天体として見え、最大西離角時には朝の天体として見えます。

3月8日:水星東方最大離角
3月8日、GMT05:59に、水星が太陽から東へ18°12′離れた位置に達します。
このとき、水星はうお座の星座内にあり、夕方の空で観察できます。水星の等級は-0.4で、
肉眼でも見える明るさです。さらに、明るい金星(等級-4.6)が同じ星座で輝きます。

3月8日は、金星の斜め左下(約45度)
3月10日は、金星の斜め左下(約30度)
3月12日は、金星の左、を目安にすると見つけやすいでしょう。

2025.02.27

「おうし座」には、1等星のアルデバランや、日本では『古事記』や『万葉集』の時代から
「すばる」や「六連星」の名で知られる青白い若い星の群れ「プレアデス星団」があります。
奈良時代の『古事記』や『日本書紀』に記述のある「すまるの玉」が宝玉を使った
装飾品であったことから、同様に美しいプレアデス星団を「すまる」転じて「すばる」と呼ぶように
なったと考えられます。「六連星(=むつらぼし)」は、プレアデス星団の7つの星が、
多くの人の肉眼では6つに見えることに由来します。

奈良時代の地誌『丹後国風土記』には「浦島伝説」の原型が見られますが、ここに脇役ながら
擬人化された「すばる」が登場します。丹後国とは現在の京都府北部です。

水江浦嶋子(=みずのえのうらのしまこ)という青年が小舟で海に釣りに出ました。
五色の亀を釣り上げたところ、その亀は美女に変身し、彼を海中にある美しい館に誘いました。
館では7人のおつきの童子が出迎えました。7人は「すばるぼし」と名乗りました。
実は美女はこの舘の姫だったのです。浦嶋子は姫と結婚し3年が経ちました。
浦嶋子は両親が恋しくなったので、一度帰郷することにしました。
姫は「この舘で自分と再会したいなら、決して開けないように」と念押しして、
玉櫛笥(=たまくしげ)を浦嶋子に渡しました。彼が帰郷すると、そこでは300年が過ぎていました。
むろん両親もこの世を去っていました。絶望した浦嶋子は、思わず玉櫛笥を開けてしまいます。
すると中から風雲が飛び出し、天高く飛び去ってしました。
二度と姫に会えなくなったことを知った浦嶋子は号泣したといいます。

※タイトルを「海の中のすばる」としましたが、中島みゆきさんの「地上の星」とは関係ありません
※「六連星(=むつらぼし)」は、六浦教室とは関係ありません

2025.02.24

2025年春から中学校で新しい教科書の使用が始まります。
今回の改訂は、現行の学習指導要領をベースにした「小改訂」のため、
大きな方針転換はありません。しかし、教科書のデジタル化はさらに加速し、
掲載されている二次元コードの数は5教科で2021年比369%と大幅に増加しました。

今の教科書は20~30年前の教科書よりページ数が格段に増えただけでなく、
学習の仕方も大きく変わりました。この傾向は小学校でも同様で、
小・中学校における学習の負荷は以前と比べはるかに大きいものとなっています。

定期テストでは、学校による学習進度の違いや実施回数の違い、
思考力・判断力・表現力をみる問題の多寡などにより、学校間の難易度差が
大きくなっています。そのため、塾にはひとりひとりの学力や状況に合わせた
対応がより求められているのです。

生徒さんの学力に合わせた「個別最適な学び」、城南コベッツで体験してみませんか。
無料春期講習受付中です。資料請求はこちら、
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2025.02.21

2月22日は、にゃんにゃんにゃんの語呂あわせで「猫の日」です。
長生きしたことにより化生(けしょう)の身となった猫たちの話です。

化け猫は、文字通り猫が齢を重ねて変化した妖怪です。なかでも老猫は尻尾が二つに分かれ、
恐ろしい霊力を得るという俗信が各地にあり、猫又と呼ばれることがあります。
化け猫の記録は古くから存在します。鎌倉時代の公家・藤原定家(ふじわらのていか)の日記
『明月記』には天福元年(1233年)、南部(現在の奈良県)に犬と同じくらいの猫又が現れて、
数人を襲ったとの記述があります。同様の野獣的な猫又は、14世紀に書かれた吉田兼好の
日本三大随筆の一つ『徒然草』にも記述があります。

猫の怪異譚としては『日本国現報善悪霊異記』(にほんこくげんぽうぜんあくりょういき)に、
慶雲2年(705年)に豊前国(現在の福岡県)の少領・膳臣広国(かしわでのおみひろくに)が
死後、猫に転生し、息子に飼われたとあるのが最初です。日本に化け猫の逸話が多いのは、
農耕民族の日本人にとって、ネズミの天敵「猫」がそれだけ身近な存在だったということでしょう。

4年前の記事「日本霊異記~日本最古の猫の記録」はこちらです。
https://www.covez.jp/school/kanto/kanagawa/yokohama/kanazawa/yokohamamutsuura/message/entry_2215.html

2025.02.18

2月22日は、にゃんにゃんにゃんの語呂あわせで「猫の日」です。
今年の「猫の日」は、宮沢賢治「猫の事務所」をご紹介いたします。
「猫の事務所」は「銀河鉄道の夜」に収録されている短編です。
1926年に発表された童話で、猫事務所での「いじめ」を描いています。

猫の第六事務所は、猫の歴史と地理を調べる場所です。
とても人気の仕事でしたが、そこで働けるのは4人の書記と事務長だけです。
第一書記は白猫、第二書記は虎猫、第三書記は三毛猫、第四書記はかま猫でした。
かま猫はかまどで眠るのでいつも薄汚れていて、他の書記からは嫌われていました。
しかし、事務長は黒猫なので、そんなことは気にせず、かま猫と接します。
かま猫は、あるとき仕事で手柄を立て、事務長から一目置かれる存在になりました。
そのため、余計に他の書記たちから憎まれてしまうのでした。
かま猫は、なんとか皆と仲良くしようと頑張りますが、上手くいきません。
しかし、事務長だけはかま猫に優しくしてくれるのでした。かま猫は、かまどで眠りながら
「どんなにつらくても、ぼくはやめないぞ、きっとこらえるぞ」と涙をためて誓います。

ところが、事務長も当てにならなくなります。
ある日、かま猫は足が腫れてしまったので仕事を休みました。
かま猫が休んだ事務所で、他の猫たちは「かま猫は海水浴に行った」「宴会に行った」
「かま猫は次期事務長を狙っている」と口々に嘘を言います。
それを聞いた事務長は激怒しました。次の日、出勤したかま猫は皆にあいさつしますが、
全員に無視されます。それどころか、一番書記の白猫がかま猫の仕事を引き継いでおり、
かま猫の仕事はなくなっていたのです。かま猫は、一日中事務所のすみで泣いていました。
すると、事務長の後ろの窓から獅子が中をのぞきます。
そしていきなり戸口を叩いて入ってきました。猫たちは、驚いてうろたえるばかりです。
そして獅子は、「お前たちは何をしているか。やめてしまえ。解散を命ずる」と告げます。
物語の語り手は、「ぼくは半分獅子に同感です」と言いました。

最後の一文の意味
最後、獅子が猫の事務所のいじめを目の当たりにして、解散を命じました。
それに対して語り手は、「ぼくは半分獅子に同感です」と言いました。
これは何を意味しているのでしょうか?
語り手は、事務長をはじめ書記の猫たちにもきちんと反省してもらい、
自分たちの力で問題を解決してほしかったのです。
しかし、外部から干渉されたせいで、その機会が失われてしまいました。
でも、だからと言ってこのままでいじめがなくなるとは到底思えません。
宮沢賢治は、いじめを内部で自発的に辞めることの難しさを伝えたかったのではないでしょうか。