矢野口駅前教室のメッセージ
改めまして上田の自己紹介①
2023.08.10
7,8月に入って受けたありがたい報告
・前々職の同期A 街コンで出会った人と交際開始
(そのカップルとお盆にランチ)
・前々職の同期B マッチングアプリで出会った人と交際開始
(そいつは来年、仕事でベルギーに数年、駐在)
・大学時代の後輩C 10月に結婚式挙げます
(乾杯の音頭やるやつ)
・大学時代の同期D 実は9月に結婚式挙げます
(家族だけでやるから、式への参加権は無し。でもサプライズを企画中)
・前々職の同期E 第一子出産
・前々職の同期F 実は第二子出産
上田的にはシンプルにめでたいと思っているし、喜んでいるんだけど、
生徒に話すことで取り残されている感が出ている上田です。
(#まじでほっとけ!!)
そんなこんなで今回は、どうやらみんなが僕のことを誤解しているので、
ちゃんとそれを解いておこうと思ったので、「改めまして上田の自己紹介①」というタイトルで話そうと思います。
(#思い思いに書くのでだらだらと長くなることを約束します)
1992年6月9日生まれの31歳 独身
上田家の三男の末っ子として、熊本で生まれて大学までは熊本で過ごす。
(#このかまってちゃんぶりは末っ子の環境が育ったと考察)
兄とはそれぞれ6歳差、3歳差で6歳差の兄とはけんかして勝てないことを早くに悟ったので、けんかの記憶した記憶が全くない。
3歳差の兄とはちょこちょこした記憶はあるが勝った記憶がない
そのせいもあって、多分人がけんかするとか争いごとが起こる(もしくは起こりそうになる)とその場を立ち去って、他の場所で快適に過ごすことを覚える
(#相手を変えようとせずに、自分の環境を変えることが大事と学ぶ)
ただし、家族で毎週末、野球をするとき。
そこでは、圧倒的な負けず嫌いを発揮して、年上の父や兄に野球の技術で勝つのは難しいわけだけど、
試合に勝てないと大樹が泣き出して、一日不機嫌になってしまうと
父、兄弟が気を遣って、大樹がいる野球が絶対勝つように設計された毎週末の野球。
本当に実力で勝っていると思っていた。
("自分って野球の天才だと思っていた)
もう一つ、負けず嫌いエピソードというか、
上田を語るうえで、避けられないエピソードが
"幼稚園のキャンプ事件"
(#ただの自慢なので読み飛ばしてもいいよ)
幼稚園のキャンプに行った時の話、
節分の時期だったと思うんだけど、幼稚園の先生が鬼に化けてみんなを襲うという
イベントがあったわけ。
ただ、幼稚園の先生たちが思いのほか、本気で鬼に化けてしまったせいで、
みんな誰も豆を投げることができず、泣き叫んでしまう事態発生。
そこで、大樹君は負けず嫌いを発揮。
逃げまとうみんなをかき分けて、みんなを守ることを決意。
みんなが泣き叫ぶ中、颯爽と複数の鬼相手に豆を投げつけて、追っ払う!!
(#基本忘れていることが多いんだけどこのエピソードだけ異常に鮮明に記憶)
その実績が評価されて、幼稚園の子供たちのトップに立つ
(#自称)
地元の菱形小学校って公立小学校に入学。
(#長くなりそう感が半端ない)
小学校の低学年時代は、永遠と吉本新喜劇とドラえもんのTVをヘビロテしてた記憶と
レゴを買ってもらっては、完成後にすぐに壊して、オリジナルの建造物を作って、
登場人物になりきって遊んでた記憶しかない。
(#誕生日もクリスマスもプレゼントは毎回レゴ期)
3年生からは野球部に所属。
4年生から入部なんだけど、兄の部活を応援するうちにいつの間にか所属。
前述の通り、八百長により野球の自信はあったため、
4年生のときに、最初にもらった背番号がレギュラー番号でないことに不満をもらす。
(#5,6年生おるやろ!)
あ!もう一つあったわ!
どういった経緯だったか忘れたけど、1年生のときの運動会で生徒代表で開会のあいさつをした。
(#なぜ1年生にさせた?)
さらに思い出した!!
なんか童話発表会という、童話を覚えてクラスのみんなの前で発表。クラス代表を選出。校内先行を経て、学校代表を選出。市内の大会で発表。
という今思えば何だったんだ?ってイベントでは毎年のクラス代表。
学校代表も3回くらいやったのかな?
そんな感じで圧倒的に人前で何かをすることや自分を表現する機会には異常に恵まれた記憶。
小学校1年生から50m走のタイムが7.77秒という異常な運動神経で、
小学校でのモテる条件、
・おもしろい
・頭がいい
・足が速い
という条件を満たしていたので、モテ期が到来。
(#そりゃ自信家に育つわ!笑)
(#自分で書いていて恥ずかしい)
兄は二人とも私立中学校に進んだんだけど、
大樹君は、野球部の友達と離れたくない等の理由から、地元の公立中学校 鹿南中学校に入学。
中学校は割と真面目くんだった記憶。
地元のヤンキーたちに囲まれていたのにひいちゃってた。
でも確かひとつめの挫折を味わう。
一番最初のテストの順位が、150人中27位。
「あれ?1位じゃないじゃん!俺、実は頭悪っ!!」ってなって危機感。
野球部の活動をしながら毎日勉強をする習慣をつけて、
次のテストで15位
「あれ?まだ15位かよ!」
ってなってさらに努力を続ける。
中2になる前までにはベスト5に入るように修正。
1位を1回だけ取れたことがあるんだけど、それ以外はずっと2位で
「敵わない相手がいるもんだな~」っていうのと同時に「やればできるもんだな~」っていうのを経験。
勉強面はこんな感じ。人が遊んでいるうちに努力をした自覚はめちゃくちゃある。
さて、他にといえば、1年生から3年生まで生徒会役員だったくらいの記憶。
(#真面目君だったから)
途中で野球に飽きてしまって、勉強で成果を上げるのと、生徒会で人前に出たときに
どうやったら人を笑わせられるかを常に考えてた。笑
中学校は、小学校と打って変わって信じられないくらい持てなかった記憶。。。
(#途中で目が悪くなってメガネになったせいにしていた)
(#冷静に、勉強がそこそこできたのとみんなの前でちょっと受けをとってたせいで、
めちゃくちゃ自信家の嫌な奴だったのかも)
それでもそれでも、
女子がヤンキーにいじめられているのを見て、
「嫌がってんだからやめろよ!」って止められるくらいの勇気はもっていたので、隠れファンはいたとしよう。
部活を引退して、高校受験のときは、確か朝9時とか10時から夜の10時まで
塾の授業とか自習室でずっとずっと勉強していた。
その結果、偏差値も高い濟々黌高校って高校に合格
(#偏差値73なんだってすごくない?)
(#勉強しかしなかったからな。。。)
そのあとは、華の高校時代。
前述の通り野球には飽きていたのと、
濟々黌の野球部はけっこう名門で、朝5時とかから朝練→朝課外→午前中授業→昼連→
午後授業→部活が21時まで
くらいしんどいことを知っていたので他の部活を検討
(#野球部に入ると確実に浪人って言われていた)
(#授業は睡眠時間)
高校からはじめてするスポーツ系の部活は限られていたので、
そんなに選択肢はなかったんだけど、ハンドボール部に所属。
(#雰囲気が緩かったから)
このハンドボール部を選んだのは、本当に良い選択。
ハンドボールも楽しかったわけだけど、良い友達にたくさん会えた
まずは、高校1年生の7月、高校3年生の最後の大会あとには、
1年生がみんなで余興というなの先輩を何でも良いから楽しませろ!って暴力的なイベントが伝統的にあった!!
(#なんかよくわかんないけど伝統って言葉で片付けられてた)
みなさんご存じのように人前にでて、笑わせることに関しては、
吉本新喜劇を観たり、漫才をみたり、中学校の生徒会で試してきたので、
それをちゃんと披露できる場所をもらえたわけです。
当時、人気が出始めていた、チュートリアルの漫才をもとに
相方を決めて、漫才の練習。
(#勉強しろ!)
ちょっとした間とかフレーズにもこだわって何度も何度も練習。
(#ハンドボール部の活動の話ね)
その余興は、大会ではないので、ランキングは出ないんだけど、
ごめんなさい!確実に1番盛り上げた!笑
高校のスタートとしては我ながら最高で、「上田は面白いやつ」認定を自他ともにされました。
漫才の相方がキャプテンで、上田が副キャプテン
(ちなみに小学校でも中学校でも副キャプテン)
結局、野球部を選ばなかったくせに、
朝練も昼練も個人的にやったり、顧問やキャプテンと話しあって、作戦を一緒に考えたり
したおかげで、熊本県でベスト4まで行くくらいはちゃんとやってたよ。
(#ハンドボール選抜をしている私立には勝てない。。。)
高校になると部活に何人かはマネージャーがいてくれたんだけど、
その一人をずっと好きだったっていうべたな展開。笑
最終的に高校2年生だったか3年生だったかのときにその人と付き合うことになって
めちゃくちゃ良い感じの青春時代に突入。
部活後に、違反だけど自転車の二人乗りで一緒に帰ったり、
テスト前とか受験期には一緒に勉強したり。
そこそこ勉強も得意だったので、
その人に教えられるくらいの学力はあったわけです。
「大樹、教えるのめっちゃうまいね!先生とかいいじゃん!」
って言われて、その気になって高校の先生を試みる。
(#今も昔もめちゃくちゃ単純)
その時は、熊本から出ることをなぜか選択肢から外していたので、
「じゃあ、熊本大学の教育学部が志望校でいいや」
って志望校決定。
私立大学を専願に入れることもせずに、国立大学を一本釣りする作戦。
濟々黌の文化なのか、まず最初に国公立大学を進めてくれたので、
私立大学は一度も検討したことがない
(#強気すぎる世間知らず)
部活を引退するまでは、
勉強はそこそこに、ハンドボールと恋愛しかしなかったので、
部活が終わってからは確か1日12時間くらいはやってたきがする。
(#数学の休憩を、英語で、英語の休憩を、理科でみたいに変態的に勉強してた)
(#彼女に教えることも勉強になって楽しんでいるので、ストレスに感じていない)
最終的には、学校の三者面談で
「もしかしたらやりたいことが変わるかもしれないから、
上田君は教育学部よりも理学部がいいよ。」
って言われて、
「じゃあ、そうしよう!」
ってふわっとした理由で、
熊本大学の理学部理学科を志望校に変更
なんやかんやで無事に大学合格で進学。
ちょっと疲れたので前半後半に分けます。
現場からは以上です。