矢野口駅前教室のメッセージ
【進路指導編】志望校の決め方~塾長中学時代はどうしたか??~|稲城市矢野口の個別指導塾 城南コベッツ矢野口駅前教室
2024.10.09
朝11時から12時までおじさんとしゃべって、ランチでいったお寿司屋さんで1時間くらいおじさんたちとしゃべって、16時から17時まで高校の広報のおじさんとしゃべって、「おじさんとしかしゃべってねぇ!!」って思ったけど、よくよく考えたら「お前ももうおじさんなんだよ!」と自分に言い聞かせた上田おじさんです。
(#おじさん何回いうねん)
(#自己紹介ながい)
今日も志望校の決め方編の続きです。
①塾長としての意見
②昨今の大学入試からの意見
に続いて、
今日は塾長が中学校の時にはどうしたかって話です。
(#自慢話の予感!)
当時から何故か何事にも自信があった上田は、通っていた塾の先生に、「自習室に住んでいる!」って言われるほど、ずっと勉強して、受験に臨みました。
それは圧倒的な志望校を見つけたからだったか、小学校のときの担任の先生に「君にぴったりの四字熟語は"初志貫徹"だ!!(初めに決めたら最後までやり抜く的な意味)っていうくらいドはまりしやすい性格だったからなのかは忘れましたが、狂ったようにずっと机に座っていました。
(#おじさんに当時の体力はない)
ただ、始めからその志望校と決まっていたわけでは無く、当時野球少年だった上田は中1,2年では、「高校でも野球やる!だから近いところの高校が良い!練習で帰り遅くなっても良いように。しかも今の成績ならたぶん余裕で入れるし」みたいな理由で、玉名高校を志望していました。稲城でいうと調布南位のイメージ。
父親の母校だったし、高校球児だった父親の影響もあって野球を始めたので、父親は喜んでくれていたのを覚えています。
喜んでくれるのが嬉しくて、上田少年もその気になって、玉名高校で野球やって、その後は大学進学!!みたいなことを描いていた気がします。(#親のリアクション大事!!)
それでも、3つ年上の兄貴がすんごく高校生活を楽しんでいるのを見て、その高校に興味が出る。その高校があの伝説の済々黌なんです
(#伝説の??)
ちょっと調べたら、県内で有数の進学校(#スーパー勉強できる高校)でも一旦憧れちゃったからには、目指すしかなくて、一旦本気出す。
でもでも、それこそ昨日、一昨日の記事で書いたように、父親から、「玉名高校に余裕を持って入って、トップでいる方が良くね?」ってアドバイスをもらったような気がします。
「いやぁ〜お父さんって、言いたいこたぁわかっけども、こっちゃあ済々黌に憧れちゃっとるもんだけんたい〜」
(#熊本弁)
コテコテの熊本弁なので念のため、通訳をしておきます。
お父上、仰りたいことは重々承知でござるが、拙者としては熊本県立済々黌高等学校の雰囲気に至極、感動しておりますもの故。
(#江戸時代)
もう意味は大体わかると思うから、察してください。ちなみに熊本弁はもともとあんまりしゃべってねぇです。
(#リスニングはできるけど、スピーキングができない)
ふざけすぎて本題に戻れなくなってるけど、志望校が決まった段階で、ちょっとだけ父親から別角度のアドバイスが飛んできて、
「あ!高校受験がゴールじゃないから、入った後のことも考えて、余裕を持って入るとかいうことも考えておかなきゃかんのね!」
(#中学生のくせに物分かりが異常に良かったはず)
(#だから学校の先生からの信頼が厚い生徒会員)
そこで上田少年の出した結論が、「じゃあ済々黌に余裕で入れるくらいに勉強したらええねん!!」
です。
(#カッコ良頼もしすぎる)
そんなこんなで、野球部の部活はまさかの初戦で負けて即引退だったので、(その時点で高校球児の目標も消えたので)
みなさんご存知、熊本ゼミナールに入塾。
(#上熊本店)
集団指導の塾で、ホワイトボードの前で先生が喋る学校と同じスタイル
塾のクラスは成績で振り分けられて、上田はKSクラス(熊高、済々黌進学クラス)。
受験の過去問やらなんやらの難しい問題を扱っていて、先生たちがどんどん生徒にあてて答えさせるスタイル。カッコつけの目立ちたがりだった上田少年は「絶対に答えたい!!」だから予習は常に完璧にしてた。
しかもしかも確かたしか、気になる女の子がKSクラスにいたので(別の中学校)、その子に良いところを見せるためにも、より頑張る!!
(#後々高校で再会する)
(#その話詳しく聞きたくなるわ!!)
人を成長させるのは、やっぱり「環境」で、たまたま上田は集団指導の競争意識が芽生えやすかったのと、頭が良いとモテると思っていた勘違いも重なって、めちゃくちゃ成長させてもらいました。
ありがたいことに、目指した通りに比較的済々黌に余裕を持って入れるくらいにはなったんじゃなかったかな。
結果的にチャレンジ校に行けたわけですが、もし行けていなければ玉名高校に行ってトップクラスの成績を保って、推薦で大学に行く!!という選択をしたと思います。
きっと玉名高校を選んでも、済々黌を受けたけど受からなくて、私立併願の学園大学附属高校に行ったとしても、楽しい高校生活にしていたと思います。
ただ、やっぱり済々黌で出会えたたくさんの仲間とか思い出がなかったとなると寂しいので、挑戦して、毎日塾で頑張って良かったと思っています。
なので、自分の体験から言うと憧れの高校があるのならそこに行くために、信じられないくらいの努力をする。ただし、もしもの時の代案は考えておく。
ギリギリのギリギリまで、自分の成長(お子様の成長)を100%信じて、チャレンジを続ける!!ってのが良いかと思います。
城南コベッツに通ってくれているみんなの可能性を信じています。今日も頑張るぞ!!
なぜか朝7時の現場からは以上です
(なんとなく通っていた熊本ゼミナールの写真)