赤羽南教室のメッセージ
【生徒指導】学校教育と実社会のギャップはなぜ起きる?<大学入試><推薦受験>
2024.06.08
みなさん、こんにちは。
城南コベッツ赤羽南教室です。
いつも当教室のブログを読んでくださりありがとうございます。
もうそろそろ2024年も上半期が終わりますね。
これからも皆様のご期待に応え、一層勉強を通して生徒や保護者の皆様のお力添えができるよう、スタッフ一同尽力してまいります。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
今日は「学校教育と社会の仕組みがリンクしていない」という点について考えたいと思います。
私は普段、小学生未満の子どもから中学生・高校生、そしてアルバイトで大学生を60人近く雇って各教室・校舎等を運営しています。私の教師歴自体も30年を超えるので、時代や世代によって、生徒やバイトの性質の違いというのを毎年感じています。
生徒には、自分の成績を上げるためにどうすればいいのか、を真剣に考えてもらうために、どうやって伝えるのがいいんだろうか。アルバイトの大学生が、指示を待つのではなく全体を見て、組織全体のためにどう行動すべきか、自分で考えて仕事を積極的に探してやるようにするには、どんな接し方・伝え方が良いのか、そういうことを毎日考えています。
世の中の普通の大人よりは、接している子供の数も学生の数も多いと自負しています。
そんな私の個人的な意見として、やっぱり最近どうも生徒や学生に変化が表れているように思います。「教わったことがあまり身に付いていかない?」「自分の偏差値、立ち位置、現状がわかってない?」「社会に出てから、あるいはどんな大人になりたいかなど、未来を長期的に考えなくなった?」「何とかしよう、頑張ろうではなく、別にいいやと考えることが多くない?」などの、傾向の変化を感じています。
折に触れこちらのブログにも色々書いていますが、この原因は、『絶対評価』にあると私は考えています。日本の学校教育現場で、相対評価から、絶対評価に変わったのは、2002年度です。目的は生徒の学習到達度をより正確に評価するためだそうです。
では、絶対評価になってから、子どもたちにどんな変化が起きたのか?
↓
集団内での自分の立ち位置が意識できなくなりました。相対評価から絶対評価になることで、自分より優れた成績を収める生徒の存在が、成績表から消え、自分の意識からも消えました。良くも悪くも、教師がつけた自分の評価しか見ることはできません。そして絶対評価に変更されて20年以上が経過した今、教育現場はどうなっているのか?
『定期試験の学年順位を発表しない』
『学校によっては、平均点も発表しない』
『定期試験で30点、40点の生徒も成績で"3"がつく』
『生徒が危機感を感じないので、勉強しないまま学年が上がる』
『受験を意識して塾・予備校に通うが、勉強の仕方、知識の暗記方法、授業の聞き方がわからないので、勉強を始めても成績が伸びないから、やる気も落ちて惰性で勉強する悪循環』
こういう状態の生徒が、この20年、だんだん多くなっているような気がします。
さらにそういう状況に陥っているのに、『なんでそんなに点が悪いの?』とこちらが聞くと、『勉強はしています。やってるんです。頑張ってるんです。』と言い張る生徒が多いこと、多いこと。
頑張っているかどうかは、他人が決めるんですけどね、、、。
学校教員にとっても、絶対評価は弊害の方が多いと思います。相対評価であれば、上から下まで成績順に評価を与えれば良かったのに、絶対評価になったために仕事が煩雑で神経を使うようになったと言います。ちなみに、相対評価は下記のように、上位7%が"5"、下位7%は"1"のように決まっています。必ずこのパーセンテージに従って成績をつけるので、シンプルだし、明確です。
【相対評価の成績】
成績 | 割合 |
5 | 7 % |
4 | 14 % |
3 | 58 % |
2 | 14 % |
1 | 7 % |
ただし絶対評価になったことで教員は、「うちの子がなぜ"5"ではなく"4"なのか?」といった保護者の問い合わせの対応に追われたり、そういった問い合わせを防ぐために、限りなく"1"や"2"という評価をつけるのを避ける傾向があります。何のために成績なんてつけているのか、わからなくなってきませんかね。
さらにそういう現状があるにもかかわらず、どの学校の内申点も同列に扱っている推薦入試って、一体何を評価したいんだろう?って純粋に疑問に思うときもあります。(学校のテストで平均点を取れない生徒が、大学入試で推薦受験をし、学校長に推薦文もらって合格していることに、首を傾げてしまうのは私だけでしょうか?)
絶対評価って、とにかく曖昧で信用できなくないですか?そんな曖昧なものを、入試の評価基準にするって、何かがおかしいと思うのは本当に私だけでしょうか?
社会に出たら全てが相対評価です。その中で懸命に結果を出していかなければならないのに、教育段階において絶対評価で育ってきて、大学を出てからいきなり大きなギャップに苦しむのは子どもたちです。
誰か大人が、はっきりと子どもたちに「本人の立ち位置」「社会の現実」を教えなければ、あまりにも悲惨だとは思いませんか。
『中学生の定期試験で平均点に届かないとは、何を意味するのか?』
『高校で上位何人が、MARCHや早慶、国公立に受かることができるのか?』
『今の成績、勉強への取り組みを続けた場合、どのランクの学校に自分が行くことになるのか?』
『社会に出てから、大人たちが大学名にどんな反応を示すのか?その大学から、どんな企業に就職するのか?』
『企業に就職したら、自分のやりたい事は、やれるのか?やれないのか?』
大人が教えてあげなければ、子どもたちは「どうにかなるんだろう」と思ってしまいます。現実を知ったときには、全然志望校を狙えるレベルじゃない、とか、入学してから失敗したと後悔する、そういう事が起こらないように誰かが現実を教えてあげないといけないと思います。
でもそれをしない大人が多いのでしょうか、私が授業で高校生に対して、高校卒業以降はどんな未来が待っているのかということを語ると、みんな新鮮な表情で聞きます。知らないことが知れて良かったと感想に書いてあります。
個人の多様性を重視する昨今におけるメリットも理解していますが、一方でその弊害も非常に大きくなっていることを危惧しています。
コロナ禍を経て加速しましたが、毎年のように「記憶力が弱まっている?」「語彙力が無く、話しても内容が理解できない?」「病名があったり、学校へ行けない生徒の数が増えてない?」「周りのことに、こんなに無関心なの?」など、色々と少しずつなんですが、おや?と感じることが多くなってきているのは事実なんです。
現実を知らないまま、大人になってから過去を悔やみたくない方へ。
当教室には、「人間的成長なくして学力の向上なし」という理念があります。
塾として勉強を教える一方、同時に「社会の仕組み」や「その学年で学ぶべきことは何なのか」といったことを考えるようなコミュニケーションを取っています。
勉強だけをしていれば、偏差値が高ければ良いという時代は終わりました。
変化の激しい時代の中で、新しい概念や異なる価値観を受け入れ、融合させて発展させていくことが、今後を生きる人たちには求められます。
では、今どんな教育が必要か?何を学べば良いのか?
私は、「豊富な知識」と「柔軟なコミュニケーション力」で、どんな人や変化にも対応できれば、どんな時代になっても生きていけると考えます。
新しいことを一人でも勉強して知識をつけていけるように、今、カリキュラムが決まっている学校の勉強くらいは、できるようにしなければなりません。「展開・因数分解の公式が覚えられない」っていう生徒は、決められたルールを覚え、そのルールに従うことができませんということです。それでどうやってこの先、生きていくのかと、すごく心配になります。
また、知らないことや、自分と異なる人のことも考えて行動できなければ、グローバル化が進み、文字通り多様化が進むこの時代で、活躍するのは難しいです。だからこそ、今、周囲のことも少しずつ知り、会話したり悩んだりしながら、自分の意見や考えを持つ必要があるのです。
そういう学びを、城南コベッツ赤羽南教室でやりませんか?
私たちは、生徒に本気で向き合って、生徒の将来のためにできることを、日々研究と改善を続けている塾です。ご興味あれば、是非お問い合わせください!
城南コベッツ赤羽南教室
~人間的成長なくして学力の成長なし~
東京都北区赤羽南1-3-7 セキネビル3F
(赤羽駅南改札より徒歩2分)
℡.:03-6903-8030
Mail: covez_akabaneminami@johnan.co.jp
※電話対応時間:㈫~㈮ 15:30~21:00 / ㈯ 14:30~20:30