国分寺教室のメッセージ
【スタッフブログリレー】第三十九弾「先生たちの夏休みの思い出」
2023.09.14
こんにちは!
城南コベッツ国分寺教室講師の
鈴木康浩(すずき やすひろ)です。
今年の夏は暑すぎて体が溶けてしまいそうですね。
灼熱の暑さの中、新型コロナウイルスの分類の移行により、
久しぶりに家族や友達と旅行を楽しんだ方も多いのではないでしょうか。
普段行くことのできない場所を訪れたり、
自然に触れたりして充実した夏休みを送れたのではないでしょうか。
一方で、受験生はこの夏休み、
家や学校、塾で勉強する毎日を送っていたのではないかと思います。
自分の今後の進路に、ひいては将来に関わることであるので、
その努力はとても意味のあることであったと思います。
さて、今回のブログテーマは、「夏休みの思い出」です。
私自身の夏休みの思い出を振り返り、書いていこうと思います。
学生時代(非受験生の時)、
私は、約1か月の間、どこかに出かけることもなく家で過ごすことが多かったです。
テレビやDVDを見て、家で一日中過ごし、朝と夜の区別もつかなくなる生活を送り、気づいた時には夏休みの終わりが近づき、必死で夏休みの宿題を終わらせていました。
そのような生活をしていたためか、夏休みに自分が何をしたか振り返ることもできません。
折角の夏休みであったのだから、
普段は行けない場所に行ってみたり、
できないことをしてみたりする
ことができたら良かったと後悔しました。
しかし、家から出なかったのには、ちゃんとした理由があります。
「お金」がなかったからです。
未成年の皆さんには酷な話になってしまいますが、どこかに行こうとするのも、新しい何かをしようとするにも「お金」が必要になります。
そのように考えると夏休みにいろいろな場所に行って、様々なことをしたという方は
それだけ「お金」を消費して経験を積んだということになります。
酷い言い方になってしまいましたが、現実、「お金」がなければできないことはたくさんあると思います。また、「お金」を消費して得られる経験もとても有意味で価値を推し量ることはできないものであると思います。
しかしながら、私が今思うのは、「お金」がないことと何もしないというのは同義ではなかったということです。
「お金」がないのであれば、自分はどのようにしてそれを補い、
行動に移すかを考えなければいけなかったのだと思います。
考えることを避け、流れに身を任せたことで、
学校という環境が与えられない夏休みに自分自身の大切な思い出を培うことができなかったのではないかと思いました。
自分に言い訳をつけてなあなあに夏休みを送ったという方、多いのではないでしょうか。
"できない"のと"やらない"のは異なります。
自分にとって充実した夏休みを送れましたか。今一度、この夏休みで得た自分の経験を思い起こしてみて下さい。
城南コベッツ国分寺教室講師の
鈴木康浩(すずき やすひろ)です。
今年の夏は暑すぎて体が溶けてしまいそうですね。
灼熱の暑さの中、新型コロナウイルスの分類の移行により、
久しぶりに家族や友達と旅行を楽しんだ方も多いのではないでしょうか。
普段行くことのできない場所を訪れたり、
自然に触れたりして充実した夏休みを送れたのではないでしょうか。
一方で、受験生はこの夏休み、
家や学校、塾で勉強する毎日を送っていたのではないかと思います。
自分の今後の進路に、ひいては将来に関わることであるので、
その努力はとても意味のあることであったと思います。
さて、今回のブログテーマは、「夏休みの思い出」です。
私自身の夏休みの思い出を振り返り、書いていこうと思います。
学生時代(非受験生の時)、
私は、約1か月の間、どこかに出かけることもなく家で過ごすことが多かったです。
テレビやDVDを見て、家で一日中過ごし、朝と夜の区別もつかなくなる生活を送り、気づいた時には夏休みの終わりが近づき、必死で夏休みの宿題を終わらせていました。
そのような生活をしていたためか、夏休みに自分が何をしたか振り返ることもできません。
折角の夏休みであったのだから、
普段は行けない場所に行ってみたり、
できないことをしてみたりする
ことができたら良かったと後悔しました。
しかし、家から出なかったのには、ちゃんとした理由があります。
「お金」がなかったからです。
未成年の皆さんには酷な話になってしまいますが、どこかに行こうとするのも、新しい何かをしようとするにも「お金」が必要になります。
そのように考えると夏休みにいろいろな場所に行って、様々なことをしたという方は
それだけ「お金」を消費して経験を積んだということになります。
酷い言い方になってしまいましたが、現実、「お金」がなければできないことはたくさんあると思います。また、「お金」を消費して得られる経験もとても有意味で価値を推し量ることはできないものであると思います。
しかしながら、私が今思うのは、「お金」がないことと何もしないというのは同義ではなかったということです。
「お金」がないのであれば、自分はどのようにしてそれを補い、
行動に移すかを考えなければいけなかったのだと思います。
考えることを避け、流れに身を任せたことで、
学校という環境が与えられない夏休みに自分自身の大切な思い出を培うことができなかったのではないかと思いました。
自分に言い訳をつけてなあなあに夏休みを送ったという方、多いのではないでしょうか。
"できない"のと"やらない"のは異なります。
自分にとって充実した夏休みを送れましたか。今一度、この夏休みで得た自分の経験を思い起こしてみて下さい。