城南コベッツ初石教室

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2024.12.17

 師走はあっという間に日々が進み、大学受験生はいよいよ共通テストが迫ってきました。高校生も、千葉県立高校入試まで、残り60日程と、受験シーズンがやってきました。

当城南コベッツでも、受験生たちは冬期講習が始まっています。

 さて、日ごろ受験受験、勉強勉強と生徒たちを叱咤激励している我々講師陣ですが、教室メッセージくらいはクリスマスの話題を提供したいと思います。

 クリスマスのご馳走といえば何を思い浮かべるでしょうか? 日本では、「チキン」それも「フライドチキン」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか? しかも、それがなんだか西洋らしいというイメージもありませんか?

 実は、世界中でクリスマスのご馳走が「チキン」であるという国は、ほとんどありません。アメリカでクリスマスに食べられる鳥の丸焼きは、「七面鳥」であり、鶏ではないのです。

 イギリスでは、リンゴ、レモン、各種ドライフルーツを煮込んだ「ミンスミート」を詰めた「ミンスパイ」とお酒を用意し、サンタクロースをもてなすことが伝統となっています。

 ドイツでは、ホットワインに「シュトーレン」というパン菓子がクリスマスの定番です。

 フィンランドでもクリスマスにホットワインは欠かせません。また、クリスマス当日の朝には「リープシーロ」というミルク粥を頂くとか。

 ギリシャでは、敬虔なギリシャ正教の信徒は、クリスマス前の40日間、肉や魚、卵、乳製品やお酒などを口にしない「断食」を行うそうです。そんな食事制限の中食べることができるのが「メロマカロナ」というお菓子。オリーブオイルやはちみつを材料とするため、上記の制限に触れずに食べることができるデザートであり、ギリシャのクリスマスには欠かせない食品です。

 さらに南半球では、クリスマスは真夏のイベントです。オーストラリアではクリスマスパーティはしばしば海やプールで行われ、バーベキューなどで肉や魚などを頂くのが定番だそうです。

 フライドチキンも、クリスマスケーキも、実は日本独特の風習となっているのです。西洋から入ってきて、その文化を模倣していたはずが、オリジナルに変化している。なかなか面白いですね。よいクリスマスを、よいお年をお過ごしください。

2024.09.04

 8月末から9月初めにかけて、巨大台風10号が日本列島に上陸しました。関東地方は直撃を免れましたが、直撃した地方や、台風の影響で雨雲が発達した地域など、広範囲で被害が生じました。台風直撃の只中にあった9/1は、奇しくも「防災の日」と定められています。

 9/1がなぜ防災の日と定められたのか。それは、1923年。今から101年前の9/1、日本を未曽有の大災害が襲ったことに由来します。

 19239/1に起こった大災害――関東大震災です。

大正12911158分、相模湾北西部を震源とする大地震が発生しました。推定マグニチュードは7.9であったそうです。

 この大地震により、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨で震度6を観測したほか、北海道南部から中国四国にかけて広範囲で揺れの観測があったそうです。

 大正当時は、建築物はおもに木造でした。しかも、都市部などでは、密集するように家が立ち並んでしました。1158分といえば各家庭で昼食の準備をしている頃、つまり多くの家で火を使っていました。

 関東大震災は、その巨大なエネルギーによる地震で10万戸以上が倒壊してしまったそうです。さらに、上記の理由により多くの火災が発生し、大規模な延焼火災へと広がってしまいます。

 この地震により、死者、行方不明者は10万人を超えたそうです。東日本大震災が約18000人ですから、いかに被害が甚大だったかがわかります。

 この大地震を忘れずに、教訓として生かすために、国は関東大震災の起こった9/1を、「防災の日」と定めて、防災に対する啓蒙を行っています。

 と、「防災の日」と「関東大震災」について書いてきたワケですが、じつは今回のテーマはここからです。

 それは、「災害とデマ」について。なのです。

関東大震災の起こった大正時代、もちろん今のようにスマホも、SNSも存在しませんでした。ところが、根拠のないデマはしっかり流布されてしまっていました。震災直後から、「このあと富士山が大噴火する」というデマが広がっていたそうです。

 そして、「朝鮮人が井戸の水に毒を入れた」という根拠のないデマは、それを安易に信じてしまった民衆や、軍、警察によって、朝鮮出身者が殺害されてしまったのです。報告書によると、殺害された人数は1000人を超えるとされています。

 100年経った今でも、災害のたびに根拠のないデマが流されます。しかも、SNSによって、デマはあっという間に広がってしまいます。

 2016年の熊本地震では、「自身のせいで近くの動物園からライオンが放たれた」などというデマが流れました。丁寧に画像まで添付してあったのですが、実施には道路をライオンが闊歩しているその画像は海外のものでした。この情報を流した人物は、動物園の業務を妨害したとして、逮捕に至りました。

 2022年の台風15号の際には、静岡県内の水害の様子だとする画像がSNSで広まりましたが、実際は生成AIによる偽画像だった。ということもありました。

 なぜ、災害の度にこのようなことが起こるのか。

 人間は、わからないものに対して、大きな恐怖を抱きます。ましてや、大きな災害で、実害が出ているとなれば、恐怖もひとしおでしょう。そのような時、人間は互いにコミュニケーションをとって、"わからない"を解消しようと動きます。そしてすぐにでも"わからない"を減らそうとする。大きな恐怖を抱えた多大なストレス下で、少しでも恐怖を和らげようとする。その心の動きが普段なら到底信じるはずもない荒唐無稽な情報に飛びついてしまう。さらに、他人の恐怖を和らげてあげようという優しさ、その荒唐無稽な情報を拡散してしまう。これが、「災害時のデマ」が広がってしまう理由だと思います。

 世の中には、「承認欲求」という欲求を強く持つ人がいます。しかも、今では多くの人の承認を得られた人は、広告収益など、実利を得られるシステムも導入されています。承認欲求を満たすことで経済的価値も獲得できるような世の中になりました。

 SNSでは、いいねの数やシェアの数を稼ごうと、様々な努力を重ねている人々がいます。そのような努力によって承認欲求を満たし、情報の発信元となれる人をインフルエンサーと呼びます。正当な手段によってインフルエンサーとなることは、なんら悪いことではありません。しかし、デマのような荒唐無稽な情報の流布、拡散でも、インフルエンサーが得られるような承認欲求の充足をおぼえることはできてしまうのです。

 これが、災害時のデマのメカニズムなのではないかと、筆者は考えています。

 生徒、保護者の皆様におかれましては、災害時の、情報を欲している時こそ、この文を少し思い出して情報が正しいのかどうかのファクトチェックというひと手間を、惜しまないようにお願いします。

2024.08.03

 726日、フランス、パリにて、第33回夏季オリンピックの開会式がありました。従来の競技場内の開会式ではなく、パリ市内を大きく使ったパフォーマンスが特徴で、選手団のパレードも、セーヌ川を往く船によって行われました。パリでのオリンピック開催は、1900年、1924以来の3回目で、前回のパリ五輪からはなんと1世紀、100年ぶり、ということになりました。

 連日、世界中から集まったアスリートたちがしのぎを削り、金メダル目指して競う姿に、世界中が注目していることでしょう。

 さて、4年に一度の祭典であるオリンピックですが、現地パリに宿と観覧席を確保して、観戦を行う人をのぞいて、大多数の我々はメディアを通じて観戦を行っているでしょう。

 当然ですが、パリ五輪の競技は、フランス時間に準じて開催されます。現在夏時間のパリと、東京の時差は7時間。例えば、8/3 午後7時から行われる予定のテニス男子シングルス決勝は、東京では8/4 午前2時から、ということになるのです。

 ライブで競技を観戦するには、午前2時という、いわゆる草木も眠る丑三つ刻に、テレビ等のモニターの前に居る必要があるのです。

 そのため、オリンピック期間は寝不足に陥ってしまう人がでるのは、もはや4年に一度の風物詩といえる風景となっていますね。もっとも、前回オリンピックは東京でしたので、そのような時差は一切なかったのですが。

 8/2時点で、日本は金メダル8個、銀メダル4個、銅メダル6個と、様々な競技でメダルを獲得しています。ただ、個人的にはメダルの数で一喜一憂することはあまりしたくないな、と思っています。オリンピックに出場する時点で、不断の努力と、不屈の精神で日々競技に打ち込んできた稀なアスリートであることには疑いようがありません。そこには手放しの賞賛と大いなる尊敬の念しかないといえます。ましてや、そんな尊敬すべきアスリートに、誰々は日本人とか、日本人ではないとか、全く関係がありません。ですから、「メダルを逃してがっかりする」ということは、個人的にはあまり好きではないなぁ。と思ってしまいます。

 もっとも、国への帰属意識や、自分の生まれ育っている国家を愛する気持ちは否定すべきではないと考えているので、「メダル獲得!」と喜ぶことは、良いことかなぁ、とも思ってもいます。

 つまり、自国を応援するのはいいけれど、全オリンピアンは等しく尊敬すべき存在であるので、自国愛を拗らせてメダルを逃した選手にがっかりしたり、相手選手を攻撃したりするのはよくない、という、ごく普通のことを言いたいのでした。

 さて、それでは日本に関係なく、一人のアスリートについて書きたいと思います。

 そのアスリートとは、トルコの混合団体10mエアピストルに出場した。ユスフ・ディケチ選手です。見事銀メダルを獲得したディケチ選手ですが、今SNSで話題となっている人物であります。何故、話題の人となったのか。それは、彼の、「射撃スタイル」が注目されたからです。

 射撃競技において、多くの選手は、片方の目を隠すような、真っ黒なモノクルのようなブラインダーを装着したり、もしくは競技用のゴーグルを着用したり。また、発射音から耳を守るためにヘッドホン型の耳当てを装着したり、キャップを着用したり。いかにも射撃競技然とした出で立ちで臨みます。

 ところが、トルコ代表のディケチ選手は、ごく普通の眼鏡と、白いTシャツ(トルコの国名が入ったユニフォームなのですが、シルエットは本当に普通のTシャツです)姿で、小さな耳栓を入れただけというラフな出で立ち――言ってみれば「日常的な恰好」で登場します。

 射撃で大切なことはなんといってもブレないことです。ですので、射撃に臨むアスリートたちは、ブレずに的を撃ちぬけるよう、「姿勢を作って」競技に臨みます。

しかし、まるで街に散歩に来たようなスタイルのディケチ選手は、片手をポケットに突っ込んで、特に片目をつぶることもせず。ごく自然に(見えただけかもしれませんが)銃を構えたのです。

しかも、結果は上に書いたように銀メダル。このラフなスタイルと素晴らしい結果に、「かっこいい」と、SNSは沸き立ったのでした。

もちろん、ラフに「見える」だけで、ディケチ選手も他の選手同様に、不断の努力を重ねてきたであろうことは想像に難くありません。その結果が否が応にも決まってしまう本番において、「リラックスした自然体」であった、もしくはそう見えた、ということが、結果につながったのかもしれません。

今年度受験を控えた皆さんも、本番において「リラックスした自然体」、もしくはそう見えるように臨むことができると、いいかもしれませんね。

2024.07.09

74日。少し前になりますが、この日が何の日か知っていますか?

日本では祝日でも何でもないので、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

もし、「7(な)4(し)」だから梨の日では? と思われた方は、一応、その通りです。

ちなみに、現在梨の品種として有名な二十世紀梨は、明治のころ、松戸市に住むの松戸 覚之助さん(当時13歳)が親類のゴミ捨て場で見つけた苗を父子で育ててみたことが始まりだそうです。

そこから10年もの歳月をかけて、梨の栽培に成功。当時外務大臣や首相を歴任していた大隈重信も、この梨を食した際に「大変甘美で至極美味」と太鼓判を押したのだとか。

松戸覚之助親子は、その梨の苗木を、成功する農家に快く分けていきました。やがて、1900年代つまり二十世紀に入り、苗を譲り受けた農家のひとりが、新世紀を代表する品種となるように、と、この梨を「二十世紀梨」と呼ぶようになったんだとか。

閑話休題。

はい。7月4日は、日本ではなく、アメリカ合衆国の祝日。「独立記念日」です。

簡単な解説を行うと、1700年代、16世紀半ばころまでには、北米新大陸の、大英帝国の13の植民地は、イギリス本国にばかり有利で、植民地には不利であるような一方的な法律や課税に対して不満を抱くようになっていました。しかし、英国議会には植民地代表の椅子は1席も存在せず、指をくわえてみているしかありませんでした。

やがて、北米植民地は「No Taxation Without Representation(代表なくして課税なし)」のスローガンの元、イギリス本国と対立するようになります。

 1770年には、ボストンにおいて、植民地に住む市民集団の本国への抗議活動に対して、イギリス軍から発砲が行われ、5人の死者を含む死傷者が出てしまいます。

 また、同じくボストンで、3年後の1773年には、紅茶に関する植民地に不利な課税に憤った市民たちが、東インド会社の船に乗り込んで、積み荷の紅茶を港に投げ捨てる「ボストン茶会事件」が起こります。

 こういったことが引き金となって、1775年、イギリス本国と北米植民地は、戦争状態へと突入します。

そして、翌年の1776年7月4日、植民地の代表会議、大陸会議は2日前に作成された独立宣言を承認する議決を行い、ここに新独立国家、アメリカ合衆国が形成されたのです。

 だいぶ歴史の講義のようになってしまいましたが、アメリカでは現在でもこの7月4日を重要な記念日として、盛大に祝います。様々なイベントの他、軍隊のパレードや、花火大会が行われます。人々は祝日を楽しみ、合衆国国旗を振って、イベントに参加したりしています。試しに、SNSに# indipendence dayと入力して検索してみてください。花火の様子やイベントの様子を動画などで見ることができると思います。

現代の日本では、第二次世界大戦の際の全体主義の古傷から、国旗を振るほどの愛国心は眉を顰められることもあるかもしれません。一方で、星条旗の元、屈託なさげに独立記念日を謳歌するアメリカ国民の様子を、少し羨ましいかも、と感じた7月4日だったのでした。

2024.06.20

 先週の話ですが、6/15(土)は千葉県民の日でした。千葉県のホームページによると

『「県民の日」は、「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇りうる、より豊かな千葉県を築くことを期する日」として、県の人口が500万人を突破したことを記念して、昭和59年に制定されました。

これは、明治6(1873)年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して千葉県が誕生したことに由来しています。』

だそうです。ふるさとを愛する心や、千葉県を誇る心は県民の皆さんにお任せするとして、今回は千葉県の郷土、それも成り立ちや由来について、少し書いていこうかと思います。

 千葉県は、外房、内房と海と接しているため、縄文時代から海の幸に恵まれていたようです。なんと発見された貝塚の数は、千葉県が全国一位だそうです(千葉県HPより)

 房総という漢字は、共に「ふさ」と読みます。「房」の方には、「房をなして実る果実」という意味があるようです。「総」のほうは、麻のことだそうで、平安時代、房総地方で麻を植えたところ、よく育ったために、「総」の字が国名についた、という文献が残っているそうです。

 「千葉」という字も、多くの葉が生い茂ったことを意味する漢字です。とにかく、千葉県といえば海も野も自然の恵み豊かな土地、というのが共通認識だったようです。

 その後、武士の世になると、様々な武将たちが千葉県を拠点とします。千葉氏は、桓武天皇の裔、つまり平氏の流れをくむ一族でした。

 室町時代には、足利一門の足利義明が、小弓公方と自称し、千葉市辺り(現在も千葉市おゆみ野という地名が残っています)に君臨していました。他にも海軍を持つ里見氏や、上総武田氏(真里谷氏)等、様々な勢力が千葉を拠点としていました。江戸時代には、江戸に近かったことから、幕府直轄領なども多くありました。

明治初めには、転封されてきたものも含め、25もの藩が千葉にあったそうです。

 その後の明治4年、廃藩置県により、茨城に移転した大網藩を除いた24の藩がそのまま24の県となりました。さらに、旧幕府直轄領、旧旗本領であった葛飾県などを加え、千葉には26の県が誕生しました。同明治4年の11月に統廃合によって、千葉には印旛県、木更津県、新治県となりました。ちなみに、印旛県の県庁所在地は葛飾郡加に置かれました。現在の流山市加ですね!(流山教室は流山市加にあります)

 という紆余曲折を経て、上記のように、明治6年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して千葉県が誕生したのです。

 そして、明治8年に、現在の千葉、茨城にまたがる新治県が廃止され、一部が千葉県となったところで、千葉県はほぼ現在の(つまりチーバくんの)形に至る、というわけです。

 千葉県在住の方でも、上記のような千葉の変遷は意外と知らなかった方も多いのではないでしょうか? 

 残念ながら、県外に働きに出ている方々は休日とはなりませんし、今年は土曜日であったために、影の薄かった感のある千葉県民の日ですが、郷土を知るきっかけになればと思います。