入試直前に、「先生、○○高校に出る問題を教えて下さい!」
「○○高校には、これが出ると説明会で言われたので、
その対策プリントを下さい!」とか聞いてくる生徒さんがいます。
そういった生徒さんは、往々にして成績の伸びが低いです。
なぜなら、学校別対策という名前をかりて、
「手を抜きたい」「さぼりたい」というのが本音だからです。
基本が出来ない人が、応答な出来るわけないです。
まずは、言われたことをすること。
宿題忘れをなくすこと。
まずは、確認テストで満点を取ること。
その積み重ねが大きな差となります!
「部活を最後まで頑張った生徒は、ほぼ「負ける」ことを経験します。
しかし、その負けから得られるメンタリティが受験では生きてきます。
この「負ける」という経験こそが、部活をやりぬいた学生が、
受験で周囲の誰もが「受かるわけないよ」と言って予想だにしない
学校に合格する、「コア・コンピテンシー」だと思います。
「負け」を受容する経験と悔しさから得られることは、
大きなモチベーションを形成することになります。
「負けた」からこそ、次のプロセスの欠如に気付き、
修正することが出来ます。局地戦での「負け」ならばこれ幸い、
その反省こそ「大局で勝つ」ことへの大いなる糧となるでしょう!
その経験を活かし、この夏、頑張って行こう!!
暑くなってきました。
地球温暖化によって、夏は昔と比べてずいぶん暑くなりました。
私の小学校時代には、まだエアコンがない家も珍しくはなかったと思います。
それにしても、江戸時代より前の人は、扇風機さえない中での生活をしていた
のですから、大変だったと思います。そんな中、日本人は風鈴などの音で涼を
得ていたと考えると、なんと豊かな感受性を持っていたのだと感動します。
平安時代の人が、アジサイの花を見て<紫陽花>という漢字をあてたこと、
ヒトデを<海星>としたことも素晴らしいと思います。
<涼しさや 直ぐに野松の 枝の形 松尾芭蕉>
〇 幕末に日本を訪れたイギリス人の手記の内容です。
「日本を植民地にしようと思ってやってきたら、江戸の町では町人たちが
本を立ち読みしている。こんな国を植民地にはできない。」
このような情報が伝わり、のちの日英同盟に繋がったのではと思います。
当時、世界の中心ともいえるロンドンでも、文字の読み書きのできる人は、
人口の25~30%と言われています。それに対して、幕末の日本は半分くら
いの人が読み書きができたと言われています。江戸だけでも千数百、各藩
に二百とか三百の寺子屋がありました。日本が時代の大きな変革期でも、
国家として生き延びていく最大の強みが「教育」だったのです。逆に言え
ば、もし教育がダメになってしまったら、日本の未来はないと思います。
子どもたちが「学びを続けられるよう」教育に携わる人間の一人として、
これからもやって行けたらと思います。
〇松尾芭蕉の俳句より
「草いろいろ おのおの花の 手柄かな」
優れたものしか生き残れない、それが自然界の厳しい鉄則です。
もし、黄色い花が優れているのであれば、世の中の植物はすべて黄色い
花になるはずです。春に咲くということが優れているのであれば、秋に
咲く花はすべて滅んでしまうはずです。
比べてはいけません。優劣をつけてもいけません。
花は自分を誰とも比べません。
だから、美しいのです。
◇教室にて思うこと◇
⑴ 問題です。アフリカの部族が「雨乞い(あまごい)」の踊りをすると、必ず雨が降る
とされています。それは何故でしょうか?
答えは、雨が降るまで踊り続けるからです。
算数や数学の問題を解く時も、一日考えろとは言いませんが、せめて20分くらいは
粘ってみましょう!すぐに質問したり、解説を見たのでは「分かったつもり」にし
かなりません。
⑵ 仏教の用語に「布施」という言葉がありますが、相手の欲するものを与えることと
されています。その中に、「顔施」という言葉もあります。優しい笑顔を見せること
で、周りの人を温かくすることです。教室でも「顔施」を与えられたらと思います。
⑶ スマートフォン(携帯電話)の普及により、固定電話が少なくなりましたが、昔、
長電話をしているときに、近くのメモ用紙にいたずら書きをすることがありました。
これは、右脳は音楽や絵画など、左脳は言語や計算を支配しているのと関係があり
ます。長電話は、言語のやり取りなので、左脳がフル回転しています。そこで暇な
右脳が、図形を描いて遊んでいるというわけです。教科書やノートに落書きの多い
人は、脳が遊んでいる人です。歴史上の人物の顔は原形をとどめていますか?