城南コベッツ横浜六浦教室

Tel:045-370-7986

  • 〒236-0031 神奈川県横浜市金沢区六浦1丁目12-21 ベラカーサ 2階A
  • 京急金沢八景駅 徒歩10分

受付時間:15:30~20:00/日祝休

  • 1対1個別指導
  • 1対2個別指導
  • ジュニア個別指導

2024.04.10

「花散らし」の意味はニュースにおいて、花散らしの雨、花散らしの風のように使われます。
桜の花が咲き誇ってる姿はとてもきれいなものですが、その一方で強い風が吹いたり、
雨が降ってしまえば、桜の花びらは散ってしまうことになりますので、
「花散らし」には、桜の花びらを散らすという意味もあるのです。

桜の花びらが雨や風で散るということで「花散らし」という言葉が使われていますが、
日本国語大辞典という辞典には、佐賀県や長崎県の方言として
「花散らし」という言葉が使われていて、方言での花散らしの意味は
野山に遊びに出かけること、となっています。

そしてこの「花散らし」という言葉には、磯遊びという言葉と同義語としても載せられており、
俳句の季語としても用いられてた言葉だともされています。

「花散らし」は、桜が咲く時期に野山に遊びに行くという意味にもなるのです。
野山に出かけることを桜の花びらを散らしに行く、という風に表すわけですが、
なんとなく風流な感じがします。

2024.04.09

おひさきなく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、
いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからむ人の娘などは、
さしまじらはせ、世の有様も見せ習はさまほしう、内侍(ないし)のすけなどにて
しばしもあらせばや、とこそおぼゆれ。
宮仕する人を、あはあはしうわるきことにいひおもひたる男などこそ、いとにくけれ。
げにそもまたさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめ奉りて、
上達部(かんだちめ)・殿上人、五位・四位はさらにもいはず、
見ぬ人はすくなくこそあらめ。女房の從者(ずさ)、その里より來る者、
長女(おさめ)・御厠人(みかはやうど)の從者、たびしかはらといふまで、
いつかはそれをはぢかくれたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらん、
それもあるかぎりは、しかさぞあらむ。
うへなどいひてかしづきすゑたらんに、心にくからずおぼえん、ことわりなれど、
また内裏(うち)の内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へまゐり、
祭の使などにいでたるも、おもだたしからずやはある。さてこもりゐぬるは、
まいてめでたし。受領の五節(ごせち)いだすをりなど、いとひなびいひ知らぬことなど、
人に問ひききなどはせじかし。心にくきものなり。

【現代語訳】
将来にたいした希望もなく、夫の出世などを願い、ひたすら家庭をまもっているような、
形だけの幸せを求めている女性は、うっとうしくて、軽蔑したくなるように思われて、
やはり相当の身分の人の娘などは、宮仕えさせて、世間の様子も見習わせさせたい、
内侍の典侍などに少しの間でもつかせたいと思われる。
宮仕えをする女性を、軽薄で悪いことだと言ったり思ったりする男は、たいへん憎たらしい。
しかし、それはもっともなことなのかも知れない。口にするのもおそれ多い天皇さまや
中宮さまをはじめとして、上達部・殿上人、五位・四位は言うまでもなく、
宮仕えする女性が知らないままでいる人は少ないでしょう。
女房の従者、実家から来る者、長女・御厠人の従者、卑しい人たちまで、
いつ、顔を合わせるのを恥じて隠れたりすることがあったでしょうか。
殿方などは、まったくそうではないでしょうか。
殿方も宮仕えする限りは、誰とでも顔を合わせるでしょう。
奥方さまなどと言って大切にお仕えする場合に、おくゆかしくないと思われるのは
もっともだけれども、やはり内裏の内侍のすけなどといって、時々内裏に参上し、
祭の使いなどに加わったのも名誉でないことがあろうか。宮仕えした後に
家庭に落ち着くのは、いっそう素晴らしいことだ。受領が五節の舞姫を奉る折に、
とても田舎びて、言うに足らぬころ、人に聞きはしないでしょう。おくゆかしいものである。

2024.04.01

枕草子第119段「あはれなるもの」の現代語訳です
藤原宣孝(ふじわらのぶたか)が、紫式部の夫です
御嶽精進(みたけそうじ)は、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)に詣る前の精進

しみじみと感動するもの。親孝行な人の子ども。身分の高い若者が御獄に詣でるために
精進している。部屋を隔てて、未明に礼拝しているのには、しみじみとした感慨がある。
睦ましい人らが目覚めて聞くでしょうと、思いやられる。
(精進を終えて実際に御嶽に)詣でるときの有様は、どうだろうかなどと、
怖がって物忌みしてたのに、無事参詣できたのはとっても素晴らしいことだわ。
烏帽子の有様などは、少しみっともない、やはり、たいそう立派な人といえども、
めちゃくちゃみすぼらしい恰好で参詣するってわかってるから。

右衛門の佐(すけ)の(藤原)宣孝(のぶたか)という人は、「(やつれた有様では)
みっともないことである。ただ清潔なだけの衣を着てお参りしさえすれば、
何かいいことがあるのかな? 『粗末な身なりで参詣せよ』なんて、御嶽山の蔵王権現は
おっしゃらないだろうし」って、3月の末に紫のとっても濃い指貫(さしぬき)、
白い狩衣、山吹色のすごく派手な袿(うちき)を着て、息子の主殿司の亮(すけ)、
(藤原)隆光には青色の狩衣、紅色の袿、まだら模様に摺り染めにした水干の袴を着せて、
連れ立って参詣したのね。でもお参りから帰る人も今から行く人も、珍しく奇妙な事に、
昔からこの山にこんな恰好の人は一切見たことないって、驚き呆れたんだけど、
4月1日に帰って、6月10日頃に筑前守が辞めた代わりに就任したのは、
なるほど、言っていたことは間違っていなかったのだ。
これは「あはれなること」ではないけど、御獄のついでに書きました。