城南コベッツ横浜六浦教室

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2024.07.05

乞巧奠(きこうでん/きっこうでん)とは、陰暦7月7日の行事で、
七夕(たなばた)祭りの原型です。牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)の
二星が天の川を渡って一年に一度の逢瀬(おうせ)を楽しむ、という伝説が
中国から伝わり、日本の棚機(たなばた)姫の信仰と結びつき、
女子が機織(はたおり)などの手芸や裁縫の上達を願う祭りになりました。
さらに書道や音楽などの上達を祈る意味にも転じていったのです。

平安時代には、宮中をはじめ貴族の家でも行われていました。
宮中では清涼殿の庭に机を置き、灯明を立てて供物を供え、
終夜香(こう)をたき、天皇は庭の倚子(いし)に出御(しゅつぎょ)し、
二星会合(牽牛と織女が合うこと)を祈ったといいます。

二星の相会う故事によって、恋愛の成就を祈る風も生まれましたが、
いずれにしても、女性に関係の深い行事といえるでしょう。また、この夜、
後宮(こうきゅう)や貴紳の邸宅では管弦の遊びもなされたようです。

※清涼殿=平安京の内裏(だいり)のうち、天皇の日常の居所
※牽牛(けんぎゅう)星、彦星(ひこぼし)=わし座のアルファ星アルタイル
※織女(しょくじょ)星、織姫(おりひめ)=こと座のアルファ星ベガ

※参考文献:平安朝の生活と文学(池田亀鑑:著)ちくま学芸文庫

2024.07.01

裳着(もぎ)は、平安時代から安土桃山時代にかけて、女子が成人したことを
一族および他氏に対して示すことを目的として行われた通過儀礼です。

女子が成年に達して初めて裳を着ける式を裳着といいます。
男子の元服に相当するもので、年齢は一定しておりませんが、
だいたい十二歳から十四歳の間くらいに行われました。
『宇津保物語』の貴宮や、『源氏物語』の明石姫君は十二歳で、
また『栄花物語』の彰子の裳着も十二の年で行われたとしるしています。

裳着の風習は種々の文献によってだいだい延喜以前から起こったようです。
吉日を選んで行われたものですが、今、宮中における裳着の模様を
『西宮記』によって一瞥してみましょう。まず清涼殿の日御座をかたづけ、
母屋の御簾を垂れ、北の御障子に近く錦端の畳を敷き、その上に地敷と茵を敷いて
内親王の御座とします。御座の東に理髪の調度などを置き、
北の二間に四尺の御屏風二帖を立て錦端の畳を敷いて、結髪理髪の座とします。
これは裳を着けるとともに、髪を結い上げるのが慣例だったからです。
腰は尊長の人が選ばれて結ぶことになっていました。
式がすみますと酒を賜い、禄をいただいて退出するのです。

「平安朝の生活と文学」池田亀鑑著 ちくま学芸文庫より引用