神戸深江教室のメッセージ
個別最適化学習
2024.06.06
「平等」と「公平」
「平等」と「公平」。皆さんは違いを説明できますか?「平等」は「個人の特性や能力をまったく考慮せず、すべての人を同じように扱うこと」です。それに対して、「公平」は「個人の特性や能力を考慮して、すべての人を同じように扱うこと」で、個人の特性や能力を考慮するかしないかで意味が異なります。
「現実」「平等」「公平」「公正」をわかりやすく示したイラストを見てみます。サッカーの試合を壁越しに観戦している様子をイメージしてください。
出典:VOCES UNIDAS ACTION FUND
平等 : 年齢や性別に関係なく、すべての人に踏み台を均等に与えている
公平 : 年齢や性別を考慮した上で、踏み台を割り振っている
公正 : 原因である壁を取り除くことで、すべての人がサッカーを観戦できる
現実 : 人によって、必要以上に与えられたり、必要以下にしか与えられない
公平 : 年齢や性別を考慮した上で、踏み台を割り振っている
公正 : 原因である壁を取り除くことで、すべての人がサッカーを観戦できる
現実 : 人によって、必要以上に与えられたり、必要以下にしか与えられない
イラストの通り、「平等」に扱っても、すべての人にとって良い結果になるとは言えません。人間は、基本的に百人百様なので、一人ひとりの違いに合わせたサポートを完全な形で提供することは難しいと思います。
しかし、「公正」のイラストにあるように、障壁となるものを取り除くことで、すべての人が同様に感動体験を共有することができます。
「公正」で個別最適な学び
この「公正」を学力レベルでイメージするとどうでしょうか?生徒全員が、すべての教科で高い学力レベルを持ち合わせているかといえば、そうではないと思います。それぞれ、得意な教科や不得意な教科が異なったり、また、クラス内でも生徒によって学力レベルにかなりの格差があることも珍しくありません。
そのため、性格や思考がまったく異なる生徒に対して画一的な授業を進めていくのは「平等」ではありますが、「公平」でも「公正」でもないと言えます。
今から約150年前、現在のスマホは「ベル電話」で、自動車は「人力車」でした。明治以来の150年間であらゆるものが大きく変わりましたが、日本の教育はどうでしょうか?
教室で黒板を背にした先生の話をたくさんの生徒が黙々と聞く授業風景の写真がありますが、現在と比べて変化しているでしょうか?
出典:明治・大正前期の授業風景(津島市立図書館寄贈)
従来、日本では「平均的な生徒像」を基準にして教育が行われ、個人の特性や能力を考慮せずに授業が進められてきました。現在では「教科書のデジタル化」は進んでいますが、授業風景はあまり変化がないように感じます。
「個」に応じた指導
2019年にGIGAスクール構想が出された際には「公正に個別最適化され」と言う文言が多くの資料にありますが、現在の資料では「公正」という文言が使われなくなっています。さらに、以前に使われていた「個別最適化された学び」という文言ではなく「個別最適な学び」という文言になっています。
出典:学びの場.com
出典:文部科学省_中央教育審議会「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)」【総論解説】
「AI(人工知能)」が主体となって「個別最適化」してくれるのではなく、生徒一人ひとりが主体となって、ICTを活用しながら「個別最適な学び」を実現していくことが求められています。
当教室では、「AI(人工知能)とコーチ(人)」が徹底的にサポートする学習教材「atama+(アタマプラス)」が効果を発揮しています。人間では不可能な分析力で、最短で得点アップをめざすことができます。
生徒一人ひとりが主体となって進めていくことで、「AI(人工知能)とコーチ(人)」が苦手の発見から解決までを導いていきます。
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