2021.01.25
追儺(=ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)に行われる宮中における年中行事で
鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式、または民間で節分などに行われる鬼を払う行事です。
宮中行事であった追儺は、鬼を払う内容から節分(太陰暦でいえば大晦日に
行われる行事)の豆まきなどの原形のひとつであるとも考えられています。
しかし豆まきについては、日本での追儺の儀式には組み込まれておらず、
鬼を打ち払う他の行事から後の時代に流入をしたものといわれています。
追儺 (「平安朝の生活と文学」 池田亀鑑著 ちくま学芸文庫 P.73より)
十二月の行事としては、追儺(=ついな)が後宮に最も深い関係をもっています。
大舎人寮の官人が、四つ目のある黄金の仮面をかぶり、朱色の衣装をつけ、
片手に楯(=たて)を持って参入し、北廊の戸に出て、大声で無形の鬼を追い、
群臣もまた弓で葦の矢を放つのです。「枕草子」「源氏物語」その他、所見の
非常に多いものであることはいうまでもありますまい。また、節分の夜、
すなわち立春の前夜には、方違(=かたたがえ)の風習があったことが、
「枕草子」や公卿の日記などでわかります。ただし室町時代になると、
豆打ちをして鬼を攘(はら)うことになったので、追儺はすたれました。
※後宮(=こうきゅう) 皇后・中宮・女御(=にょうご)が住まわれ、
更衣・御息所(=みやすどころ)・御匣殿(みくしげどの)などを
はじめとして、内侍司以下の女官が奉仕した禁中の奥御殿のこと
※方違(=かたたがえ) ある方向を忌むこと。わざとその方角を違えて、
別の方角にある家に泊まりに行くようなことも普通に行われていました。